秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所一番から二番へ札所二番の納経所である光明寺まで

ちまたでは、秩父札所のお寺について書いてあるブログがほとんどですが(私も別ブログに書いてました)、このブログでは、寺院ではなく、あえて巡礼道について書きます。

 

江戸巡礼古道を歩いたことがある人なら、わかるでしょうが、秩父の札所は素晴らしいことに巡礼道が残っています。そこには道案内のように石碑が多く残されています。

 

中には場所が移動したり、以前にはあったのがなくなっていたり(グーグル・マップの写真では見えたのに、実際に行ってみたらなくなっていたものも)していますが、よくよく見れば、石仏に限らずいろんな石の建造物があるのです。

 

そこで寺院の紹介は別のブログを見ていただくとして、私が巡礼道を通った時点で見かけた石の建造物などを写真に残そうと思い、ブログを書きます。

 

ちなみに、何回かに分けて日本橋から川越街道を通って小川町経由で秩父まで歩いた経験があります。江戸時代の人はスニーカーを履くわけでもなく、着物で行ったわけですから、すごいことだと思います。道も整備されていなかったわけですし。

 

参考にしたのは、江戸時代の文献『絵入 秩父順礼独案内記』です。それと埼玉県が調査した時の報告書(歴史の道 調査報告書)です。

 

ブログが完成したら、私が通った道について手書きの地図を作成する予定です。

 

江戸時代に札所一番へは「川越道」と呼ばれる川越や小川町を通る道から入るのが一番多かったそうです。

 

今回は、札所一番から順番に江戸時代の巡礼道を石碑や石仏、道しるべ石の写真とともに紹介します。

 

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江戸時代の書物にも経塚のことが書かれていた四萬部寺です。今は、当時のものではなく、再興されていました。

 

江戸時代の書物である『秩父順礼独案内記』には、寺前に「誦経塚」があると書かれていました。

 

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裏手の駐車場から上がったところに四萬部寺入口と書かれた石を発見しました。

その後ろには、秩父の特徴ある玉ねぎ状の岩です。

 

以前は、今のように山門から入ったのではなく、いったん、裏手に回ってから入ったのでしょうか。

 

寺の前に経塚があると書いてあったのは、ここらあたりに塚があったのかと勝手に想像しながら歩いていました。

 

江戸時代の時のように、粥新田峠を越えて、曽根の一里塚前を通って歩いて札所一番にくると山門はカーブした先にあってわかりにくいのです。

 

今回は、秩父札所のお寺の紹介をメインではなく、言うなれば「歩き方」の紹介です。

 

寺院については、別の資料をあたっていただくとして、さっそく江戸巡礼古道の紹介をしましょう。

 

札所一番を出てから向かうのは、札所二番になりますが、いきなりヘビーな山道となります。

 

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江戸時代の書物にも、寺前に茶店や旅籠屋があったと書かれていました。

当時と同じなのかはわかりませんが、「旅籠一番」の入口前の道(左側の細い道)を通ります。

江戸時代は「えびす屋」と呼ばれていたそうです。

 

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江戸時代の案内記となるガイドブックには、「二番へ小川坂あり」と書いてあります。

四萬部から下って、追分があって、左の細道を入る、山へのぼることも書かれていました。

その当時は「清水」もあったようです。 

上下の二段に分かれる道のところに、さっそく道しるべ石があるのが見つかりました。

 

ひとつは(下のほうの道)「札所めぐり 道しるべ」と書かれた石です。こちらは、「右二番」と書かれています。

 

 

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ここを右のほうの道を歩きます。

 

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上のほうにあった石は古いものらしく、これには、「右 大たな道 左 志かう道」と書いてあるとのこと。

 

 

大たな道は、大棚、すなわち札所二番に向かう道ということです。

「志かう」は、慈光寺のこと。江戸時代は、慈光寺から札所一番を目指して来る人もいたそうです。

これから先、「巡礼道」と書いてある札と、道しるべ石を目印にして江戸巡礼古道を歩きます。

 

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さらに歩いて、清水橋を渡ります。ここは定峰川が流れています。

 

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しばらく歩くと民家の生け垣のようなところに「右 順礼みち」と書かれた道しるべ石を見つけました。とはいえ、ほどんど字が読めませんが。

 

さらに住宅地を歩いていきます。

 

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しばらくすると、三叉道のところに、額に「如意輪観世音菩薩」と書かれたお堂が見えてきます。

地元では、「にょいりんさま」と呼ばれているそうです。

 

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お堂の脇には、「大日如来」と書かれた石碑などあります。

 

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「にょいりんさま」の台座には、読みにくいけど「南無地蔵菩薩」と書かれた石もありまして、道標を兼ねています。

「ひだり 二番 みぎ三ばん」と書かれた石です。

 

 

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「札所二番真福寺」の看板がある県道を渡ろうとしたら、その手前に石です。

 

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てっぺんが欠けた石ですが、「順礼みち」と書かれています。

 

 

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県道を渡り、看板のところには、台座の上に大きめの石碑が立っていました。

 

 

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台座の下に石積の壁がありその前には道標です。「順礼道」と書かれているそうです。あまり鮮明ではなかったです。

 

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しばらく歩くと、T字路の突き当りになり、その手前にも石がありました。

 

江戸時代からあるわりには比較的字が読みやすいです。江戸吉川町の文字がみえます。

「右 志まんぶ道 左 大ミや道」が見えます。もう一面には 「左 二ばん道」となっているそうです。

 

「大ミや」は大宮、すなわち秩父神社がある秩父市内のことです。

 

 

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T字路を左に曲がっていくと、墓地なのか廃寺跡なのか石碑がいくつか立っている場所もありました。

ここまでも道には石が積まれているところが多かったです。

私もいくつか古い街道を歩きましたが、石積みがある場所が旧街道というところが多かったです。これは何度も歩いたことがあれば、これが旧街道ではないかと勘が働くと思います。

 

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梅林を抜け、住宅地の道を歩きます。お地蔵様が浮き彫りになった石碑です。

 

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「馬頭観世音」と書かれた石碑は字がわかりましたが、その隣はよくわかりませんでした。このまわりにも、いくつか石碑がありました。

 

ここから坂の傾斜がきつくなってきます。人家もほとんどなくなり、山道っぽさが出てきます。

 

 

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杉木立の山道です。木漏れ日はありますが、比較的暗い道になってきました。

これぞ巡礼古道というような道です。

 

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まわりをみると、薄い石が何層にも重なっているような岩肌です。

ここまで来ると、さすがに車だとすれ違うのが難しいだろうと思います。

 

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急に明るくなって、人家も見えてくると、「札所二番」の看板が見えました。ここが札所かと思ってしまうのですが、この突き当りを右に曲がります。

 

この奥へ続く道の先には、真福寺の旧本堂があったのだとか。

今は通行止めになっていました。

 

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「札所二番」の看板のところを右に曲がると札所二番の入口が見えます。ここから札所二番に入ります。巡礼古道では下りの道ですが、車は巡礼古道の下りの道から入ると、Pと書いてあるここが駐車場になるようです。

 

 

本来なら、札所一番から二番までの道となると、札所二番に到着なので、ここでいったん区切りとなります。しかし、二番の真福寺は納経所が別のお寺(光明寺)となるので、さらに続けます。

 

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すぐに見えるのは本堂かと思いきや、本堂はさらに階段を登ります。

以前の納経所のような場所だったのでしょうか。

 

入口の階段までの岩肌も薄い石が重なったような岩肌です。

 

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紅梅の花が咲く頃でした。真福寺は3月のハナモモも有名ですし、他にも時期によっては椿やツツジあります。

 

花もきれい咲いていますので、納経所の光明寺だけ行くのではもったいないですね。団体旅行などでは、ここまで登らずに二番は納経所のみ、という場合もあるそうです。

 

さらに階段を登ります。

 

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札所の番付に最後に加わったとされる札所二番の大棚山真福寺です。

 

できた当初は三十三観音だった秩父観音霊場ですが、その後三十四の札所になり、江戸時代には番付も変わりました。

 

その当時、札所一番の四萬部寺は札所二十四番でした。札所二番は最後に加わったお寺になります。

 

江戸時代の案内記、『秩父順礼独案内記』には、鬼丸という山々があって、東のほうにみえると書かれていました。

 

さて、札所二番は無人なので、納経所に向かいます。

 

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ヘアピンカーブのような道を下っていきます。ついつい道のほうが気になって周りを見る余裕がなくなるのですが、札所二番の真福寺を出て山道を下ると遠くの山々が見えます。

 

紅梅や白梅の上に見えるのが、おそらく両神山です。

遠くからみると、ギザギザの山に見えると言われていますが、私には区別がつきません。

 

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つづら折りというのか、ヘアピンカーブのような道を下っていきます。

途中には道しるべ石です。

二ばん道と書いてあるのか。解説の木札はありませんでした。

 

 

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坂道の途中には古木と人家のような建物がありました。梅の古木のようにみえます。

 

 

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上りの道も坂道を登っていくわけですが、杉木立の山道とはいえ、ずっと舗装道路でした。

 

下りの道も舗装道路が続くと思われましたが、途中でこのように舗装道路から土の道を歩けるようになっていました。

 

ここから旧道らしき未舗装の道を歩きます。急な坂道ですし、細い道なので自転車は通れないのではないかと思います。折りたたみ式の自転車なら通れるか?

 

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このような土の道になります。落ち葉があるので、滑りやすいです。

 

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このような古道ですが、途中にはお墓の場所もありました。石灯籠もありました。

 

 

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山を下る道の途中には埼玉県の天然記念物に指定されている岩棚のキンモクセイがあります。キンモクセイの季節にも行きましたが、花は見当たりませんでした。

 

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山から下る土の道は舗装道路とここで合流します。合流地点には、道しるべ石もありました。「右ハ二ばん道」と書かれていました。「左 山ミち」となっています。


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山から下る道の面は、よくわかりませんが、おそらく三番道と書かれているかと思います。

 

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合流地点から古道と反対側に歩くと、キンモクセイの木がよく見える場所があります。花は見えませんが、咲くのかどうか。

 

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合流地点の舗装道路には、「江戸巡礼古道」の案内板があります。

ここの周りには、かつての巡礼宿だった家があるそうです。何軒か、大きな家がありました。

 

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ここからは大棚川に沿って歩きます。

 

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橋の近くの馬頭尊の石碑のところから、段丘上を歩く道と、大棚川に沿って歩く道とに分かれるということなので、段丘上の道を通りました。

 

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以前来た時は、川沿いの道を歩いたので、今回は眺めが良さそうな段丘上の道を歩いてみることにしました。

 

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段丘上の道も大棚川沿いの道と平行しています。分岐点から400メートルで、川沿いの道に合流するのだそうですが、これがわかりにくかったです。

 

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途中で地元の人に会ったので、聞いてみたのですが、やはりわからないとのこと。

 

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400メートル平行している道とのことなのでもっと先まで行くようなのですが、私の場合、道を間違えたようで、民家の庭先に出てしまいました。

 

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もしかしたら、もっと上のほうまで歩く道があったのでそちらが正しい道だったのかもしれません。

 

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少し戻って、 途中で川沿いの道に下りてしまいました。おそらく半分だけ歩いたかと思います。

 

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段丘上の道は途中まで歩いたことになり、川沿いのほうの道を歩きます。

 

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川沿いの道を歩くと、大棚公会堂前を通りました。

 

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建物の左側には、お地蔵様や馬頭観音の石碑がありました。

 

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その後、段丘の上の道ではなく下の道で行きましたが、その時も大棚公会堂が目印でした。

 

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下の道を歩いた時も、馬頭観世音の石碑はチェックしました。

 

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段丘上の道も下の道も大棚橋の手前で合流するということです。

 

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川沿いの道の対岸は、杉木立でした。江戸時代の『秩父順礼独案内記』によると、道の左には松林の山があって、そちらに「勲伐の宮」という「古処」があるとのことでしたが、それらしきものも見つかりませんでした。

 

弁天橋から分かれる道を通り、この山の裏手に、寺跡や神社があるそうなのですが、それがこの「勲伐の宮」なのか?その宮から、一町離れたところに、光明寺があると書かれていました。光明寺があるからなのか、山田という御朱印地村があるということも書かれていました。

 

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下の道で通った時、段丘の上の道から下りる道を探してみました。段丘上の道と川沿いの道の合流地点には、大棚橋の少し手前、ということなので、ここかなと思いました。

 

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 下の道から、段丘上の道を探してみました。石垣があるので、かつては巡礼道だったのではないかと思います。そのほか、祠らしきものも見えました。

 

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下の道を歩くと、弁財天橋までの途中には、地元の人がかけたと思われる板の橋もありました。

 

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弁天橋の手前、左側には「左 二番道 右 山道」の道しるべ石です。

これは白地で書かれているので、はっきり読めました。もしかしたら、比較的新しい道しるべ石なのかもしれません。

 

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 弁天橋を渡ると二又道になり、札所を示す大きな看板があります。

その下に「弁財天尊」の石碑です。

 

ここを右側の道を通り、札所二番の納経所である光明寺の方へまっすぐ歩きます。

 

なお、今は納経所である光明寺まで行かないと御朱印を押していただけないのですが、以前は二番で納経を済ませたら、ここから左側の道を通って行ったそうです。

 

実際に見たら、左の道は光明寺を通らないで、札所三番へ続く道になっていました。

 

光明寺の坂下のところ(道しるべ石あり)で、現在の巡礼道と合流します。二又の左側の道は江戸時代のいつ頃まで使った道だったのか。いずれにせよ、今は納経所の光明寺まで行くことになります。

 

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住宅地の中をしばらく歩くと、秩父電子株式会社の建物が見えます。

その敷地が切れたところに、「向嶽山 光明寺」の寺標が見えます。

ここを右に曲がると、その先に見えるのが札所二番の納経所である光明寺です。

 

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 光明寺は鐘撞堂もありまして、大きな寺院です。現在は納経所となっている光明寺ですが、実はここにも道しるべ石があるのです。

 

入口には、仁王様が立っていまして、仁王様に向かって、右側に道しるべ石が置いてあります。

 

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非常にわかりにくいのですが、道しるべ石は2つあって、両方とも他から移されたと言われています。

 

「上 四ばんみち」と書かれた石です。

 

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 願主のところに、心求・はまとなっていることがわかるかと思います。

 

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もう一つは、「右 三ばん 四ばん 左 山みち」と書かれているそうです。

 

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笹が邪魔になって見えづらいですが、これは現地に行ったほうがわかりやすいでしょう。「右 三ばん 四ばん 左 山みち」の文字は実際に見て確認したほうがいいように思います。

 

納経が済んだら、また先程の光明寺の寺標のところに戻ります。

 

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札所二番からの道だと、左に曲がりますが、光明寺の参道からだとまっすぐ歩きます。

 

参道から寺標まで戻ると、寺標の斜め前、参道からだと右側に「禁葷酒」の石碑があります。その隣は文字が読めませんが、石碑が立っています。

 

ここから坂を下っていきます。

 

以上が札所一番から二番を通り、札所二番の納経所である光明寺までの巡礼道です。

次回は、二番の納経所である光明寺から札所三番までの道となります。