秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所十三番から十四番へ

札所十三番以降は、しばらくはあっという間に次の札所に到着します。

 

ちなみに、ガイドブックによると、歩きで札所十三番から十四番までは、約10分、十四番から十五番までは約15分、十五番から十六番までは約15分、十六番から十七番までは約20分、十七番から十八番までは約15分となっていました。

 

ここで札所めぐりの数を稼ぎたいものです(後半で時間切れや日程が足りないということのないように)。

 

 

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江戸時代のガイドブックである『秩父順礼独案内記』に札所十三番のところで、十三体の彩像あり、と書いてあります。

 

十三体の像とは十三権者像のことかと思いますが、それはこの一切経蔵の中にあります。十三権者とは秩父札所を定めた創設者のことです。善光寺如来、熊野権現、妙見大菩薩、花山法皇など仏様もいれば実在する人物も混ざっていて、定めた人たちとはいえ、ほぼ伝説の話です。

 

ここの中には、十三権者の像だけでなく、六角輪蔵もあり、お経が収められています。

 

慈眼寺境内

 

写真がなぜか小さくなってしまっていますが、桜のころの札所十三番慈眼寺です。 かなり大きな桜の木なので、秩父鉄道の御花畑駅からも見えます。

 

慈眼寺観音堂

 

さて、お詣りを済ませて山門からでますと、目の前の通りが聖人横丁と呼ばれています。

 

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山門を出て左に行き、角のところに「秩父十三番補陀所」と書いてある寺標と、「教化史跡 聖人横丁」と書かれた石柱があります。上が欠けた千部供養塔や石仏、その隣には、お地蔵様が安置されている地蔵堂があります。

 

聖人横丁の「聖人」とは、秩父聖人と呼ばれた井上如常のことで、札所十三番に墓があります。また札所三十三番の菊水寺にも井上如常の教えが書かれた大絵馬があります。絵馬については三十三番の時に再度。

 

ここを左に曲がって秩父鉄道の線路と並行して歩きます。

 

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途中、右手にゆるやかな坂が見えます。これが「団子坂」と呼ばれる場所で、秩父夜祭の時に、ここを屋台が通ります。この上の写真はその秩父夜祭の日の昼間に撮ったもので、旗がいくつか立てられています。

 

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別の日に撮った団子坂です。急な短い坂であることがわかるかと思います。山車が登るには大変そうです。

 

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団子坂を右に見ながら、さらにまっすぐ歩いていくと、左手にタバコ屋さんがあって、その店の前に「巡礼道」と書かれた道しるべ石がありました。「十三番入口 右 十四番」と書いてありました。ここを左に曲がります。

 

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 左に曲がった通りは、東町通りと呼ばれます。商店街なのですが、道幅は細いです。この通りの途中に惣圓寺があります。秩父七福神のひとつで、弁財天をお祀りします。

 

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惣圓寺の敷地は、東町通りの両側にありました。東町通りは、このお寺にちなんで、「新寺通り」とも呼ばれるそうです。札所に比べたら「新寺」なのでしょうか。

 

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東町通りをさらに進むと、県道73号にあたります。県道を渡るのですが、その前の左手には古い建物のタバコ屋さんがあり、以前は巡礼宿を営んでいたそうです。いわれてみれば、なんとなく宿っぽい感じもします。

 

この写真は、県道を渡った後の東京電力の営業所の方から撮ったものです。

 

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東京電力の脇の道をまっすぐに歩くと、左手に今宮神社が見えてきます。以前の社殿は、和銅黒谷駅近くにある聖神社に移築されたそうです。聖神社はそこで祈願すると、宝くじが当たる神社としてテレビでも取り上げられたのだとかで多くの人が参拝に行くそうです。和銅黒谷駅を降りて歩いて行けます。

現在は今宮神社の社殿は新築のもので、とてもきれいです。

 

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ここは少し前は、公園になっていたそうです。少しずつ建物も増えているようで、私が以前行った時はなかった天神様のお社が新しく立っていました。

 

これは「駒つなぎの欅」として知られる大木です。樹齢500年以上と言われています。武運長久を祈願した武士が馬を止めて置いたと伝わる欅です。

 

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修験道の開祖と呼ばれる役行者、役小角のお堂もありました。ここに八大龍王神を祀る八大宮を作ったそうです。

 

昔は、神仏混交ですから、お寺と神社は一緒で札所十四番の今宮坊も一緒にあったのではないかと思われます。明治時代の神仏分離令で分かれたのでしょう。ここと札所十四番をあわせたくらいの敷地だったのでしょうね。

 

この今宮神社の前をさらにまっすぐ歩いていくと、左手に大きな欅の木と目の前に「札所十四番」と書かれた幕が道路の上に掲げられているのが見えてきます。

 

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上に「札所十四番」と書かれた横断幕のところの四つ角を右に入ると札所十四番、今宮坊の入口になります。

 

門前には「秩父札所十四番観世音」の石柱が立ちます。古くは、「長岳山正覚院金剛寺」という修験道の直末寺だったそうです。秩父札所には修験道の道場だったお寺がいくつかあります。ここもそのひとつです。

 

金剛寺時代は、東西100メートルの地域が金剛寺の敷地だったそうです。今宮坊は八大権現社と今宮観音の別当で、その後、神仏分離令と修験道禁止令によって観音堂は切り離されたとのこと。

 

 

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こちらが今宮坊で有名な樹齢500年の欅です。

 

 

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観音堂の左手には四阿地蔵尊です。お地蔵様のところまで行くと、右手に勢至菩薩堂があるのがわかります。

 

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勢至菩薩堂の隣には、十六日念仏供養塔がありました。その奥にも二十二夜塔や庚申塔などがありました。境内は、ちょうどロウバイの季節だったようです。きれいな黄色です。

 

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ピンクや白の花はユキヤナギでしょうか。そのそばには、聖徳太子像もありました。

 

サクサクと進めていきます。次は、札所十五番です。