秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所十五番から十六番へ

札所十五番から十六番までの道は、また同じく秩父鉄道の線路を渡って寺標のところまで戻ります。札所十五番の少林寺へ行く途中にも秩父神社の参道を通りましたが、今度はさらに秩父神社へと近づきます。

 

f:id:rumimarusr:20210624220721j:image

 

秩父神社前の交差点までくれば、大きな鳥居も見えます。この写真は大事な行事である御田植祭の時の鳥居です。実は、12月の例大祭につながる神事なのです。実際に見るとわかりますが、一年の豊作を祈願するお祭りです。春に武甲山の神様をお迎えして、冬の例大祭でお帰りになるという神事です。

この神事では札所十四番今宮坊の時に一緒に写真を載せた十四番のそばの今宮神社にある龍神池の水を使います。水分神事が行われます。

 

f:id:rumimarusr:20210624220711j:image

 

秩父神社は、秩父三社として有名です。一宮の神社で、延喜式神明帳にも載っている古社です。江戸時代には、境内に妙見社がありました。今でも裏にある神輿が置いてある場所にかかる扁額には「妙見宮」と書かれています。この場所は、「柞の杜(ははそのもり)」と呼ばれる史跡になっています。

 

さて、その秩父神社の交差点から左に曲がって国道299号に沿ってあるきます。本町の交差点で国道は右に曲がっていきますが、そのまままっすぐ歩き、中央ドラックと秩父ふるさと館の間の道を直進します。

 

f:id:rumimarusr:20210625025425j:image

 

上の写真は秩父ふるさと館の横側の写真ですが、この通りは古い家並みを見ることができる通りです。

 

f:id:rumimarusr:20210608131331j:image

 

昔を思われせる家々が並びます。貴重な街並みの通りです。さらに直進していくと、二又に分かれる道の真ん中に民家が建っているのが見えます。

 

f:id:rumimarusr:20210608132401j:image

 

二又道の民家の玄関先にある道しるべ石です。「右 十六番道」と書かれ、状態良く保存されています。

 

二又では左の道がメインの道のように見えるのですが、この二又道では右の細いほうの道へ入ります。ここからは右に大きくカーブした坂道で、その後は左にカーブするように下っていきます。

 

 

f:id:rumimarusr:20210608132345j:image

 

途中の四つ角に子育地蔵尊のお堂が左に見えます。写真の説明書きによると、地蔵堂の石仏には「十六番中道」の刻字があるそうです。ここもさらに直進していきます。

 

f:id:rumimarusr:20210608132352j:image

 

すると正面に高橋組本社がある変則的な四つ角のところに出ます。右に少し行った先に少しずれた四つ角となっていて、いま来た道から見ると、斜め右の先に「巡礼道」と書かれた道しるべ石がありました。表からみると、「十六番入口 右 十七番へ」と書かれています。この石を裏からみると、「右 十六番」となっています。

 

この変則的な四つ角を右に曲がってまっすぐ行くと、「わへいそば」というお蕎麦屋さんがあってその前をすぎて、そのまままっすぐ歩きます。このお蕎麦屋さんは秩父では有名なお蕎麦屋さんのようです。

 

f:id:rumimarusr:20210608132357j:image

 

そこからまっすぐ30メートルほど先に木の塀があって、墓所の方へいく細道があります。そこを左の細道のほうへ入って行きます。その角には、道しるべ石があって、「十六番道」と書かれていました。

 

f:id:rumimarusr:20210608132411j:image

 

墓所の道の途中には、旧観音堂があった場所があります。「小田原北条期より江戸享保時代迄西光寺観音堂(現札堂)があったとされる」と書かれた石碑がありました。

 

f:id:rumimarusr:20210608132407j:image

 

その道には他にも、甲山事蹟の石碑がありました。「井上甲山は明治期に秩父を代表する水墨日本画家として活躍し、多くの秀れた作品を残した。秩父札所十三番観音堂及び当山境外薬師堂は何れも明治の再建であり、その格天井画を揮毫している。墓石は左側三基目。戒名は雪翁甲山居士」と書いてありました。

 

f:id:rumimarusr:20210625025414j:image

 

墓所の間を通る道を通りぬけると札所十六番西光寺の山門が見えてきます。西光寺は枝垂れ桜が有名な寺院で、私も桜の頃に行ったことがありますが、見事な桜を見ることができます。

 

f:id:rumimarusr:20210625025422j:image

 

山門から入って正面が観音堂となっていて、向かって右に納札堂(旧観音堂)があります。これもよく残されていたなと感じるお堂です。今でも柱には納札を打ち付けた釘後が残されています。納札自体はなくなっているものもあるようですが、釘跡は残っているのですね。

いわば私達の先輩、先達たちが残した跡です。今では納札は紙になってしまいました。

 

巡礼の時に順打ちとか、逆打ちとか言いますが、「打つ」というのは昔はこのように釘で打っていたからなのですね。今ではこのように札を打つこともなくなり、紙札になりました。それを寺院の建築物に貼るようになって中には所構わず貼る人もいるので、禁止になったところもあります。

その一方で、札所三十番の法雲寺の納札のように、百観音はいつ頃成立したのかを探る重要な手がかりにもなっているので、この文化も絶やすのが惜しい気もします。

 

f:id:rumimarusr:20210608132349j:image

今回は江戸巡礼古道に従って、墓所のほうから歩いてきましたが、現在の参道は山門をまっすぐ前に通る道のようです。

 

秩父中村郵便局の脇の道を歩くと、そちらの道の入口には「秩父札所十六番 無量山西光寺」の寺標が立っています。秩父の札所には珍しい真言宗と書かれています。そこには「四国八十八ヶ所寫」の文字もあるように、西光寺には、「四国八十八霊場の写し」となった回廊堂があります。