秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所十九番から二十番へ

札所十九番の龍石寺は何度かテレビ放映もされているので、どこかで見たような気がするお寺かもしれませんね。

 

この境内は一枚の大きな岩盤の上にお堂が建っているという特殊な地形なのです。荒川の侵食によって露出した角礫質砂岩による岩盤です。

 

境内には、丸い穴がポコポコ開いて水たまりになっているのですが、それは川底にこの土地があったときのものです。川の流れによって石が水流で回転してできた川底を削った穴なのです。

 

川底が地面に出てきたと考えたら想像しやすいでしょうか。水が上を流れていた時代に石が流れて、それがくるくる回って穴ができたのだろうなと。

 

あまりにも時代が遡るので、時代の概念がよくわからなくなりますが。

 

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さて、地形の話ではなく、巡礼道の話です。六地蔵の前、入口角にあった道しるべ石のところから右に曲がり、観音堂の外の道に出て、お堂の周りの辺を回るようにして歩いていきます。上の写真に見える、この大きな岩の周りを回っていくイメージです。

 

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実際に見てみると、大岩であることがわかります。岩の上にも石碑がありました。石碑には南無阿弥陀佛と書かれているようでした。

 

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大きな岩のところには札所二十番への木の案内板もありました。とにかくこの大きな岩をぐるりと回るようにして歩き、突き当りからは左に折れて坂を下っていきます。下まで下りたら、駐車場や畑で見晴らしの良い場所になります。そこを左に曲がります。用水路の上を渡り、T字路の突き当りを右に曲がります。

 

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T字路の突き当りには、「右 二十番」の心求・はまの道しるべ石がありました。

 

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右に曲がってからは民家の間の細道を道なりに歩きます。広めの道路に出たら、右に曲がって旧秩父橋の方へと歩いていきます。

 

上の写真にあるように、広めの道路に出た時に、江戸巡礼古道の案内板が折れて下に落ちていました。しかし、方向は合っていますね。

 

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旧秩父橋の入口に来たら、左側が旧秩父橋で、右側に地蔵堂があります。「厄除安春地蔵菩薩」が安置されているようです。

 

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その地蔵堂の隣に、道標の石碑があるのですが、字が薄くなってしまってわかりません。「大野原」の文字はなんとなく読めたのですが。

 

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旧秩父橋は、現在は歩行者用の公園になっています。秩父橋橋上公園となっているのです。前方に今の秩父橋が見えますが、旧秩父橋だけではなく、さらにその前の橋脚というのか、橋台が残っていました。

 

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最初の橋の跡と旧秩父橋と現在の秩父橋というように、3つ存在していることが混乱しやすいので説明書きには、「二代目の秩父橋」のように書いてありました。

 

橋上公園になっているのは、「二代目の秩父橋」ですね。二代目は昭和六年に竣工だそうです。初代の秩父橋は明治十八年です。

 

 

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明治時代には秩父橋があったとはいえ、江戸時代の巡礼では対岸に渡るためには船を使います。「簗場の渡し」が使われていました。

 

もう少し今の秩父橋の方に渡し場があり、船に乗って対岸の札所二十番へと行ったのです。

 

札所二十番の内田家には、その当時の船賃などを取り決めた文書が残されているそうです。

 

この橋上公園の左側に渡船場へ下りていく石段が残っていたそうなのですが、私が見た時はその跡は見当たらなかったです。下に下りていく人がいたためなのか、左側には秩父市と秩父札所連合会の古い看板がかかっていて「秩父橋を渡る 20-25番」と書かれていました。

 

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さて、二代目の秩父橋を渡りますと、国道299号にあたります。出たところに信号がないので、「国道の下を通るように」と秩父のマップに書かれていました。

国道の直前、二代目秩父橋のすぐ右には下へ降りる階段があります。下へ降りるところの前に「巡礼道」の道しるべ石がありました。この石は新しい感じがします。矢印が下に向いていますね。

 

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矢印が指す方向、すなわち階段を下りて行きます。荒川が少し見える場所に行きます。

 

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下まで行ったら、今度は上に上っていきます。

 

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下からですが、新秩父橋と旧秩父橋(二代目)が見える場所です。旧秩父橋がアーチ橋であることがよくわかります。

 

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本来なら、下から再度上に上がり、上がったらそこから左に行き、そのまま歩けば以前は真っ直ぐ札所20番まで行けたそうです。

 

古いガイドブックには川沿いの道が書いてありました。

しかし、今は「この先地すべりのため全面通行禁止」になってしまっていました。上の写真、右側の木の茂みのところにある案内板に書いてあるように、「迂回路」を通ることになります。川沿いの道へは、✕印がついています。

 

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秩父橋の下を通って上に上がった場所には、先程の秩父橋の説明書きにも書かれていた「初代」秩父橋の親柱も2基残って建っていました。

 

「秩父橋」と「明治十八年十二月築造」と書かれているとか。下のほうが草が生い茂ってよく見えませんでしたが、この写真でも「明治」の文字は見えます。三代目、すなわち現在の秩父橋の基礎掘削中に発見されたという貴重なものです。

 

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その先には、これから十九番へ向かう人のために書かれた注意書きと、道しるべ石がありました。

 

矢印とともに、「巡礼道19番へ 横断危険のため、橋の下をくぐりぬけてお渡りください」と書いてありました。国道は車の往来が激しいですからね。

 

私は橋の下をくぐって行ってみることに興味があったからいいのですが、旧秩父橋の橋上公園を出たらすぐ目の前の道を渡るだけですから、国道とはいえ、目の前の道を渡って横断したくなる気持ちもわからなくもないです。

 

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国道299号に出たら、道なりに歩いていきますと、徒歩のみですが「う回路」があります。ここの案内板はわかりやすいです。

細い坂道をのぼって行くと徒歩のみの近道になります。車や自転車は国道を通ることになります。バスに乗った時しか、この国道を通ったことはないので、はっきりとはわかりませんが、ぐるっと回って札所二十番までの道のりは距離があったように感じます。

 

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細い道の坂を上って左にカーブして真っ直ぐ歩いていくと、目の前にお寿司屋さんが見えます。そこにあった電柱にも矢印と「札所20番 う回路 徒歩のみ」が書いてありました。ここを左に曲がりますが、右に行くと先程の細道のところで分かれた国道299号に出ます。

 

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左に曲がってから真っ直ぐ歩いていくと、途中で金昌山光正寺の寺標と墓地が見えてきます。

 

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もう少し歩くと、札所二十番の手前、札所20番第2駐車場の看板の下に「埼玉県指定史跡 延慶の青石塔婆」の場所を示す看板がありました。

 

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民家と民家の間の細道の先に、1310年の「延慶の青石塔婆」がありました。

 

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鎌倉時代、延慶三年の青石塔婆です。武蔵七党のひとつである丹党の関係資料になります。

 

江戸時代の巡礼の人たちもこの青石塔婆を見たのでしょうか。それとも、渡し船を使って札所二十番に参拝し、ここに青石塔婆があることも知らないまま札所二十一番へと歩みを進めたのでしょうか。

 

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左側に石仏や石碑がある場所の前を通ると、目の前に札所20番の看板が見えてきます。

 

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三基の石仏や供養塔のようなものが見えました。向かって一番右は、道しるべ石でした。「二十番入口 右 二十一番」と書かれています。

 

この三基は少し高い場所に有るのですが、この道沿いには数メートル離れたところに供養塔のような石が多くありました。石仏や供養塔、道しるべ石が固まって存在しているので、ここは廃寺跡地だったのでしょうか。

 

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すでに看板が見えていて、右には札所20番の駐車場もあるので、すぐにわかりますが、ゆるやかな坂を下り、左側に少し入ったところに札所二十番の「秩父霊場第二十番 法王山 岩上堂」の石碑があります。そこから川に向かって降りるようにして、札所二十番へと生きます。

 

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本来なら二十番の石碑に向かって左側の道が秩父橋付近の案内板でみたように、橋のところからあった川沿いの道なのでしょう。

 

今は秩父橋の先の付近が地すべりが起きているため「う回路」の道を使うようになっています。 ここにも「危険、通行止」の看板がありました。

 

「う回路」と書いてあるように、現在の道は川沿いの道を使っていた時より少し遠回りなってしまっているようです。

 

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二十番の石碑がある入口の下には観音堂へと下りていく石段がありますので、荒川の川岸に向かうような形で下りていきます。