秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所二十番から二十一番へ

札所二十番は札所が設立した当初から場所も番付も変わらない札所となっています。

 

ガイドブックによっては、寺院がかつてあった旧の場所も地図に書いてくれているのを見たことがありますが、場所が移動している札所もあります。観音堂が別の場所にあったという場合もあります。

 

そのうえ、江戸時代には江戸から来る人のために、札所の番付が変更されて、札所一番は四萬部寺になりました。それから思うと、ここ札所二十番の岩之上堂は最初から番付が変わらない札所になります。

 

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江戸時代なら、荒川の簗瀬の渡し場で船に乗って岸を上ってきます。

 

江戸時代の『秩父順拝記』を見ると、船で巡礼さんたちが渡ろうとしているところが見えます。荒川の対岸に着き、観音堂に参拝したら、ここを上って次の札所へと行ったわけです。

 

江戸時代は入口と出口が別になっていたのですね。

 

ということで、巡礼道です。参拝が終わったら、石段を上がって上の道に着きます。今度は左に曲がって札所二十一番へと向います。上に上がると、石段とは別に左側に納経所へ下りていく道がありますが、そちらではなく真っ直ぐの道のほうを歩きます。来る時に札所二十番の入口前にあった供養塔などが多く建っている道に沿って行きます。途中、民家に入る私道が何本かありますが、そちらの脇道には行かずに直進です。

 

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途中少しゆるやかな坂道を上るような形で、右は民家の石垣があり、左は欅の道と言われる、林の中のようなところを抜けると、段丘上の見晴らしの良い場所に出てきます。ここは天気のよい日だと、武甲山も見えて眺めがいいです。

 

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下は荒川が流れているのですが、川はほぼ見えなかったです。木が生い茂っていたからかもしれません。

 

ここの道は段丘の上ということで高さがあって見下ろすような道です。ちょうど山藤が咲いている時期でした。

 

この道を通る時も何本か民家への道がありますが、真っ直ぐ歩いていきます。そのうち、ゆるやかに右にカーブしていきますが、道なりに歩いていきます。曲がるところには、墓所などがありました。

 

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カーブに沿って歩いていくと、古くからあるような民家がいくつか見えてきます。民家への細い私道はありますが、真っ直ぐ歩いていきます。

 

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そのうち、左に小道が見えてきます。民家へ入る道ではなく細いですが道路になっています。その曲がり角に道しるべ石がありました。「みぎ 廿一番」と書かれた心求・はまの石でした。横には「為 一切衆生」と書かれているようです。小道からの正面はT字路のようになりますが、そこには札所への矢印が書かれた案内板がありました。

 

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さらに直進していくと県道72号が上に走っているところに出ます。突き当りのように見えますが、ヘアピンカーブのようにして、県道に上がっていく道です。その突き当りに江戸巡礼古道の案内板と、その奥に供養塔がありました。

 

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供養塔は道しるべを兼ねていたのか、「左 廿一番」と書かれていました。

 

このまま道なりに行き、坂を上って県道に出ます。ヘアピンカーブのようにして戻るように左手に曲がります。

 

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県道に上がって左に歩くと、県道の遠く先、右手に札所二十一番が見えてきます。高い2本の木が目印です。

 

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 墓地とトイレの間に、「二十一番」の石柱がありました。

 

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札所二十一番の駐車場に「六丁」と書かれた道しるべ石があるというので、この石かと思ったのですが、違ったようです。あくまでも入口を示す石のようでした。

 

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裏に、「童女」の文字は見えましたが、「六丁」とはなっていなかったです。それらしい石が見つからないまま、札所二十一番、観音寺の入口へと行きました。

 

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札所二十一番観音寺は山門もなく、県道に面した寺院です。「秩父霊場第二十一番観音寺」の石標が立っています。

 

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県道に面して「真言曼陀羅供養塔」と「弁財天」の大きな石がありました。

 

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境内には宝暦14年の宝篋印塔の前に、六地蔵とは別に、古い感じがするお地蔵様が大小11体ありました。

 

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 境内の八幡宮のそばには、芭蕉句碑もありました。

 

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参拝を終え、県道を向こう側に渡りました。ほぼ対面にあるのが、明治期に活躍した当地出身の地芝居役者、中村十九十郎の墓です。

 

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「大和座」の座頭で、立役の名手「田舎千両」と評判されると書いてありましたので、人気役者だったのでしょうね。

 

 この写真でも前に見える県道を歩いて、次の二十二番へ行きます。