札所二十三番へは、札所二十二番へ行った時と同じく、札所二十二番の跡地を通る江戸巡礼古道と、現在の札所二十二番を通る明治巡礼古道がありますので、「古道」と言っても2つのルートが存在します。
まずは現在の札所がある二十二番から二十三番への道である明治巡礼古道についてです。
参拝を終えたら、もと来た道を戻ります。
来た時に見た道しるべ石や太陽光発電パネルがある場所まで戻ります。そこまで戻れば、「巡礼みち 23番」 の矢印が見えてきます。
この前にも書きましたが、この付近は城跡になっていて堀などが残されています。この先の明治巡礼古道を歩いていても城跡がわかります。
墓所と太陽光発電の間の道を歩いていきます。
童子堂の納経所で聞いたら、子育地蔵の立っているあたりが永田城跡なのだとか。室町時代の城館となります。
道なりに歩いていくと、子育地蔵尊の祠の裏側が見えます。こんもりとした盛り土の山が土塁なのだそうで、その上にあります。
お地蔵様が立っている側とは反対側も山のようになっていて、そこも土塁となっているようでした。城跡という雰囲気です。
今歩いて来た道を振り返って写真に撮りました。この子育地蔵堂を回り込むようにして道は右に曲がっているので道なりに歩いていきます。
道なりに歩き、堀のそばまで来たら堀と平行に歩いていきます。
堀がある側と反対側は遠くに武甲山が見えます。写真では木に隠れてしまっていますが、秩父ハープ橋も見えます。
道沿いには、石垣も多くこれが城跡の遺跡なのかと思いました。
県道に出る手前の道の左側に案内図らしきもの(おそらく秩父市が設置)があったみたいですが、中身が無くなっていました。この先にあったと言われていた「中山みち」が消されているようです。
その下には道しるべ石です。「左 廿二番道」と書かれ、比較的新しいものに感じました。
県道へは斜めに入るようにして進みます。ここの出口にも入口と同じく案内板です。23番から来た逆打ちの人のためか「巡礼みち 22番」となっています。
以前見た地図でも、札所十九番にあった看板に書いてある地図でも、明治巡礼古道(中山みち、または、小鹿坂巡礼道となっていた)は、このまま真っ直ぐ歩いて坂道を上り、長尾根道を歩いてきた「江戸巡礼古道」と合流する、となっていました。中山みちについては、後で書きます。
この写真でも案内板が見えますが、県道を渡った先のまっすぐの道(中山みち?)ではなく、もう少し県道を歩くと、「巡礼みち ハイキングコース 23番 音楽寺」の案内板が見えました。矢印の方向へ歩いて行きます。
しばらく県道を歩くと、四つ角が見えて右方向に細い道が見えました。巡礼道は右への道ですが、左へ曲がる道は武之鼻橋へつながる道の四つ角です。
武の鼻橋については後ほど書きます。
右方向へ入る細い道は車は通れないのですが、「ハイキングコース」と書いているように、歩行者は通れます。こちらは「中山みち」ではなく、「巡礼みち」という呼び名のようです。車の場合はこのまま県道を走るしかありません。
途中、民家の間を抜けるような道が左にありますが、まっすぐ歩いていきますと、「巡礼みち 23番」の案内板が見えてきます。ここまでは比較的広い道ですが、石碑からは細い山道のようになってきます。これは確かに、この先は車の通り抜けはできない道です。
舗装されてはいるのですが、細道です。枯れ葉も多く落ちていました。
山道のようなところを抜けると、秩父ミューズパークへの車道に出ます。この道はつづら折りになっている道です。
この車道へ出るところにも案内板があって、上ってきた道の方向にも矢印があって「巡礼みち 22番」と書いてありました。下っていく人は22番への道です。
車道は秩父ミューズパークへ向かう道だからか、車の往来が多かったです。車道に出たら斜め左の方向の対面にいつもの「巡礼道」の札を見つけました。こちらを歩いて行くことになります。
ここには、秩父駅の方向を示す矢印の案内板と、坂を上っていく「巡礼みち 23番」と、私が今やって来た道を示す「巡礼みち 22番」の札もありますので、自分が行くべき方向に進んで行きます。ここでは三方向の矢印があります。
この坂道は、最初はなんてことないようにみえますが、勾配がきつい上り坂になります。余裕があれば、振り返って景色を眺めるといい道なのです。秩父ハープ橋はもちろん、秩父市内や武甲山も見えて見晴らしの良い場所です。
しかし本当に坂がきついです。いったん、また車道に出ますが、また歩行者用の上り坂の道に入ります。右側は山のようになっていますが、左側はミューズパークだと思うのですが、梅の木やミモザの木が整備されて植えてありました。途中には、紫陽花らしき株もありました。
ところどころに音楽寺への矢印が書かれた案内板がありますので、坂をひたすら上っていきますと、札所二十三番の音楽寺に到着です。
これが今ある札所二十二番から明治巡礼古道(途中は巡礼ハイキングコースと書かれてましたが)を使った場合の札所二十三番の音楽寺まで行った光景です。
余談なのですが、先程の子育地蔵のところから永田城跡がある道を抜けて県道を渡ったまっすぐ先の明治巡礼古道の「中山みち」(もしくは小鹿坂巡礼道)は、今もあるのだろうか?と思って行ってみることにしました。
さきほどは県道にそって、もう少し先まで歩いてから山のほうへと向かって行きました。
「以前の地図はまっすぐ山のほうへ」と書かれていたのに、なぜか今はもう少し県道を歩いてから山のほうに向かっています。ハイキングコースという道ではなかったのです。
そこで明治巡礼古道の「中山みち」はなくなってしまったのか、それとも少し残っているのかと思ったわけです。
札所二十二番童子堂へ行く途中でも堀が見えましたが、子育地蔵の周りも堀あって用水路のような小川のようになっていました。その用水路らしき小川が県道を渡った先にも続いていました。
用水路のような小川に沿って道があったのですが、途中から山のほうに向かいます。右手が廃品置き場のような場所があってその先に道が続いていました。
少し広場のような場所があったのですが、この先は通行止めになっていました。徒歩なら入れるのかもしれませんが、道がわからなかったです。
石碑がいくつか残っていたので、ここの平場のようなところが二十二番への道のところで書いた、童子堂の別当だったとされる栄福寺(永福寺)の跡地ではないかなと思いました。勝手な想像ですが。
後日、他の人のブログを見たら、山の方から下りてきたら(長尾根みち)、廃品置き場のところに出たとあったので、以前は、もっと手前で左に曲がる道があったようでした。今も残っているのかは不明です。
中山みちについては、案内板もなくなっていました。札所二十番の時のように、がけ崩れか、何かあって道が消えてしまったのかもしれません。台風の被害がひどい時以降なのかもしれません。せめて跡でも残しておいてくれたらなと思いました。
さて、余談はもう一つです。
私が参考にしている江戸時代のガイドブックである『秩父順礼独案内記』によると、札所二十三番は小鹿坂と呼ばれていて、二十三番へは麓の川を渡る方法もあったことや舟があること、「武の鼻」という名前も載っていました。
その「武の鼻」ですが、今は武の鼻橋として知られています。
江戸時代から「武の鼻」の存在は知られていたのです。二十一番から明治巡礼古道を通って二十二番へ行く道の途中にも石柱に「武ノ鼻」の文字が書かれてました。
秩父市の江戸巡礼古道コースにも紹介されていたのですが、札所十六番から武の鼻橋を経て、二十二番に行き、二十三番、二十四番、二十五番へと続く道も紹介されていました。
そこで二十二番童子堂の山門前のお地蔵様のところからの武の鼻橋へ道も紹介したいと思います。ただし、二十二番から十六番へという戻る形でのご紹介になります。
童子堂へは左に曲がって山門に入りますが、そのまま直進します。
突き当りを左方向に行くと、下へ降りる道が見えてきます。くねくねとした山道のようですが、開けた明るい道です。
いったん車道に出ますが、車道を渡り、さらに下へと降りていきます。車道を渡る時、左方向をみたら、墓所と石碑がありました。下の道(車道)が上からでも見えるのでそのまま下ります。
道の脇には用水路のような石垣がありました。 この用水路に沿って下りていきます。
車道のところまで来たら、「巡礼道」の案内板がありました。案内板もあることから、やはり、ここから二十二番へ上っていく人もいるようです。
車道に下りたら、右に進みます。秩父ハープ橋も見えるのでわかりやすいです。
ただ、札所十六番の方面から来た人はこの近くが二又の道になっているので、左の道を選びます。この道の少し先左側に先程の「巡礼道」の札があるので見つけにくいかもしれません。
車道に出てからは、ハープ橋を目印にして歩けばいいだけです。
ハープ橋の下に見えるのが武の鼻橋です。武の鼻橋は車両の場合、通行に重量制限があります。
「武之鼻橋」(「之」の字のほう)と書かれています。こちらは古い橋なのでしょうか。2トン以上の車は通れないのが武の鼻橋です。
崩し文字で「たけのはなはし」と書かれているようです。コンクリートの橋だったのでそれほど古さは感じませんでした。武甲山も前に見えます。
ハープ橋を通るよりも景色を楽しめる印象です。
こちらが武の鼻橋の全体です。
車で通るとなるとヘアピンカーブのように曲がりながら行くので、遠回りになりそうでした。ここを通って上がっていけば、先ほど書いた今の巡礼道(中山みちではなく)「巡礼みち ハイキングコース」へ入る四つ角のところまで行けます。
ただし、車の場合はハイキングコースは通れず、ミューズパークの方へ行くことになりますが。
橋を渡ったら、その先には御嶽教秩父教会と秩父御嶽山里宮がありました。ここから先は古道でもないので、写真は省略しますが、スーパーベルクが入る大きなショッピングモールを目指していけば、その裏手に札所十六番があります。
以上が明治巡礼古道(中山みちの一部も含む)と十六番から二十二番への道もあった「武の鼻橋」についてです。
【江戸巡礼古道】
では、旧二十二番の童子堂跡地からの江戸巡礼古道についてです。
まずは童子堂跡地から、行く時にみた「峠のような平場」に戻ります。
一番奥の道に入っていきます。平場のところに来れば立て札があります。こちらは江戸巡礼古道ですね。この矢印が指す23番寺のほうへ歩きます。
平場から少し歩くと延命地蔵尊が見えます。
すぐに山道になります。
山道を過ぎるとすぐに切通しの道に入ります。
V字になってえぐられた形になっています。
枯れ葉が上に覆いかぶさっているので、一見すると、わかりにくいのですが、足を入れるとぐぐっと下に沈みます。V字の深さは見た目よりも深い印象でした。
途中に倒木などもあって歩くのにけっこう時間も取られます。この先には道の両脇に竹やぶがあって、たまに竹が覆い被さるようにして倒れていました。
V字の道から平たい道になりますが、枯れ葉は多いです。季節によっては虫や蛇なども出てきそうな場所です。
私が通ったのは12月でしたが、そのうち道の先が明るくなっていて、出口のような感じがしました。それまでは暗い道も多いところなのです。
やっと切り通しの道から林の中のハイキングコースのような道になりました。
そこから上っていくと、周りが急に明るくなって尾根道に入ったことがわかります。
ここを歩くと「長尾根みち」と呼ばれていることがわかるでしょう。ここまで来れば古道らしさを味わえる道になります。それまでは歩くのが困難な道でしたから。枯れ葉の中をずぶずぶ歩くような道です。時間もかかりました。
いつもの「巡礼道」の札が木にかかっているのが見えるので、間違えることはないでしょう。
案内板にも「長尾根みち」と書かれています。江戸巡礼古道の23番寺のほうへ歩きます。
道が広がった場所もあって、メープルの森の看板がありました。NPO法人がメープルを植えているようでした。
メープルですから、カエデですね。西武秩父駅の売店でカエデの樹液を瓶に詰めて売っていたのを飲んだことがあります。樹液は煮詰めるとメープルシロップになるのですが、煮詰める前は、ほんのり甘さを感じる程度の水という印象でした。
鹿が木の葉を食べてしまうのを防ぐための網のようです。遠くに見えるのは武甲山です。長尾根みちもここまで来れば、秩父市内の街並みを見下ろして、いい眺めを楽しめます。ハープ橋も見えます。
手作りのような注意書きです。夏は蜂にも気をつけたほうがいいようです。
今度は杉木立の間を歩きます。先のほうに屋根が見えてきます。
石仏が並んでいるところに出ます。この石仏はお地蔵様のように見えますが、秩父札所を開設した十三権者の石仏なのです。秩父札所は1234年、十三人の権者が開創したと伝えられます。
看板には「十三人の権者が秩父札所を開設したときに、この地の松風の音を聞き、菩薩の音楽と感じたので山号を松風山、寺名を音楽寺としたのである」と書いてあります。ここは桜の下に石仏が並んでいます。
桜の時の光景です。桜の時期は本当におすすめです。
十三権者の石仏の後と前に道があります。裏手となる後の道を通って小鹿坂峠に出ます。
小鹿坂峠では五方向から道が通っていますが、前の道まで行けば、札所二十三番音楽寺への方向を示す矢印が見えます。
十三権者の石仏から音楽寺方面に進みます。案内の柱のところには、札所二十三番(音楽寺)と書いて矢印があります。
「巡礼みち 23番」の矢印に沿って土の道を下りていきます。この坂道は思ったよりも枯れ葉があって滑りやすいところです。
桜の時期なら、この山道を下る時も桜を楽しめます。
坂道を下ると音楽寺の観音堂の後ろ側に出ます。札所二十三番に到着です。
江戸巡礼古道を使った場合は、観音堂の裏手から入るので先に観音堂に到着します。観音堂で参拝してから、さらに下に降りたら、納経所があります。