秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所二十四番から二十五番へ

札所二十四番は江戸時代は修験の寺だったそうです。

 

こちらの縁起は加賀の白山を勧請したのだとか。そのためなのか、白山観音とも呼ばれているそうです。神仏習合の修験だったためか、奥の院としてあったものがその後白山権現社とされ、明治元年に白山神社となったそうです。札所二十四番では白山神社の御朱印も取り扱っていました。

 

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 札所二十四番で参拝を済ませたら、札所二十四番の納経所の裏手に白山神社があるので、そちらも参拝するといいでしょう。以前あった場所からここに移動してきたばかりらしく建物がまだ新しいです。

 

 さて、札所二十四番から二十五番までは、来る時に登った百十六段の階段を下りたら、県道を来た方向にいったん戻る形になります。

 

県道の向こう側(右に)南無観世音菩薩の旗が立っている場所があるので、そこから住宅地の方向に入っていきます。

 

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入ってしばらくすると二又の道になります。左に行くと竹やぶが見えて荒川のほうに行く道になります。その分かれる場所に、昭和三年の標柱がありました。「左 二十四番及尾田蒔村方面」と書かれ「正面 久那村及ビ長若村方ニ至ル」となっています。

 

この標柱の前にも、何か刻まれた石がありました。


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標柱のこちらの面には「右瀧坂渡場ヲ経テ秩父町ニ至ル」となっています。ここから坂道になり、ゆるく右にカーブしているので、それに沿って歩いてきます。

 

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今度は左にカーブしているので道なりに歩きます。住宅地の中のくねくねした道ですが、道に沿って歩いていると途中で丹生大明神の祠が見えてきました。

 

この道とは別のものですが永源寺跡の石仏を再度見に行った時、近くの住宅地に土台が石詰みの立派な祠がありました。

 

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こちらは庚申塚ですが、地元の方々がきちんとお祀りしているのだなと思った次第です。

 

上の丹生大明神の祠も地元の人が守っていることがわかります。

 

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先程の祠を過ぎると、荒川も見えてきて川のそばを歩いていることがわかります。丹生大明神は水を抑えるための神様だったのでしょうか。


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荒川が見えたらしばらくすると、県道が見えてきます。県道の斜め左方向には山のほうへと入る道が見えてきます。

 

県道に出るすぐ手前には「右 柴原道 左 二十五番」の道しるべ石です。

 

右は柴原道と呼ばれていたようです。なお、これから進む道は江戸巡礼古道の「久那みち」と呼ばれていて、今までの道は「長尾根みち」です。

 

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県道を渡ってすぐの斜め前が江戸巡礼古道です。途中に南無観世音菩薩と書いた旗や、巡礼道の札がありますので、それに沿っていきます。

 

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埼玉県の歴史の道報告書には、ここで右に入ると書かれていました。この先に白山神社の参道があるとのことでした。

 

しかし現在は白山神社は新しくなって札所二十四番の裏手に移動しています。そのためなのか、報告書の時とは道が変更になったようでした。

 


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試しに、右に入ってみたのですが、途中で道が通れなくなっていました。

 

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白山神社への参道らしき跡もわかりませんでした。

 

今は白山神社は札所二十四番の法泉寺の裏手に移動してありますが、以前はこの右に入った道のそばに白山神社の参道があったとのことでした。参道のような道は結局わかりませんでした。

 

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元の江戸巡礼古道に戻りました。道なりに歩いていると桑畑の中の道になってきます。その途中にも「巡礼道」の札がかかっています。道は右にカーブしたり、左にカーブしたりしますが、「巡礼道」の札のとおりに歩いていきます。

 

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途中深い谷のような道になりますが、少し上るような形で歩いていきます。

 

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林の中のくねくねした道もありますが、とにかく前に進んでいきます。

 

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しばらくすると道の左側にコンクリートの高い壁が見えてきます。それに沿って歩いていると、前にトンネルのようなところが見えてきます。

 

トンネルを抜けると、秩父錦の販売所でしょうか。「酒つくりの森」という場所が見えてきます。ここまでが暗い道だったので、この酒つくり森の駐車場や建物が見えてくると安心できます。

 

県道209号に沿った道からは県道に出ます。右方向に県道を歩いてきます。県道209号の坂道を上っていきます。

 

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私が行った時は、ちょうど宅地を作るのか江戸巡礼古道の真後ろが工場中だったのですが、県道209号から左に入る道があることが見えます。

江戸巡礼古道の矢印の札を見失うことのないようにしましょう。途中でも「巡礼道」の札はありますが。

 

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巡礼道の隣にオレンジ色の囲いがあったのでわかりやすかったです。工事中でも古道を残しておいてくれているのですね。

 

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途中に「巡礼道」の札があるのでそれに従って歩いてきます。ただ、巡礼道の札が見えなかったのがこの付近でした。

 

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この道のままでいいのか少し不安になりましたが、それでもまっすぐ歩いていたら、曲がり角に江戸巡礼古道の案内板を見つけました。この道で正しかったようです。

 

「久那みち」と書かれています。25番寺の方向に曲がっていきますと、坂道になってきます。

 

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右に曲がってから県道209号に沿った道になります。途中左に曲がっていくと県道に沿ったまま、県道209号に出る道につながります。この写真のように江戸巡礼古道の札がかかっているのが見えます。この写真の札は、逆さまになっていますが。

 

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県道209号を歩いていくと、途中で、左から道が来ていることがわかります。その三叉のような場所があります。正面に江戸巡礼古道の案内板があります。この左に入る道の方向へ行くことがわかります。Uターンするようにして道に入り、また右にカーブしていきますが道なりに歩きます。

 

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三叉道のような場所で突き当りに出ます。正面には弁財天の石碑です。ここを右方向に歩きます。

 

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また、二又が見えてきます。正面のカーブミラーの下に矢印が書かかれた札がありますので、左の25番寺の方向に歩きます。

 

大きく左方向に行きます。右手に「民宿すぎな」が見える坂道を下ります。この付近は、民宿がいくつか固まってあります。

 

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民宿すぎなの周りを回るようにして、坂道を降りると、右側に説明書きが立っているのが見えてきます。今、下ってきた道が「巡礼坂」と呼ばれているようです。

 

本来の江戸巡礼古道とは違っていることの説明が書いてありました。

 

本来ならこの近くにある宝林院の裏手を通り、沢を越える道だったようです。しかし、その沢の両側がえぐり取られて崩壊してしまったとのこと。これでは通行不可というのも仕方ありません。

 

「巡礼坂というのは、その昔巡礼さんが多く往来したことからその名がある。近くに立つ馬頭尊がその名残りをわずかに残している」と書いてあるので、宝林院の裏手をほぼまっすぐ歩いてくると、そこからの道の突き当りにこの石碑の馬頭尊があったのでしょう。

 

やはり道しるべ石や馬頭尊、弁財天などの石碑は、巡礼の道の目印になっていたことがわかります。

 

以前の道は沢を渡るくらいの林の中の道だったのだと思います。馬頭尊前の道から宝林院の方向を見たのですが、今では木々が生い茂り、道らしいものもわかりませんでした。

 

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引き続き道を下っていくと旅館の「はまだ」の看板が見えます。その看板のすぐ下に江戸巡礼古道の道案内です。久那みちの25番寺の方向に進みます。

 

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「はまだ」のところで、右に曲がって道を下っていきます。このような井戸のようなものが右に見えてきます。さらに道を下っていきます。

 

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すると、T字路のような道になり、左手の道がヘアピンカーブのようになっていました。左に少しだけ行くと、江戸巡礼古道の案内板があって、25番寺の方向に進みます。ここからはつづら折りのような下り坂です。

 

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ヘアピンカーブのつづら折りを過ぎると、下の谷のほうへ行く道が金網に囲まれてあります。

 

そのまた先には、下へ降りていける階段があるのが見えます。

 

そこに江戸巡礼古道の案内板がありました。金網状の階段が設置されていて、金網の下が見えるようになっていました。この階段にも「巡礼道」の札がかかっていました。

 

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階段を降りて山道を歩いていきますと、金網の向こう側に木で作られた橋が見えてきます。

 

このあたりの沢は五百沢(いおさわ)と呼ばれている場所です。木の橋を渡ります。 

 

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沢を渡ると今度は上り坂になります。

 

車の通る音が聞こえたので音のしたほうを見ると、先程のヘアピンカーブのつづら折りのところから続いている舗装された道がこの山道のそばを通っているようでした。

 

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山道ですが、道はしっかりわかります。沢を渡ったすぐのところは急な上り坂でしたが、尾根道のような平たんな道になってきました。

 

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沢を渡ってすぐは急な上り坂でしたが、ここまで来ると、ゆるやかな下り坂で、竹やぶの間を通る道を歩きます。

 

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山道を抜けると住宅地に入ってきます。木々が茂る暗い道から道が明るくなりました。

 

舗装された道の手前には江戸巡礼古道の案内板があるので、25番寺の方向に進みます。

 

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住宅地のある道に出て左に少し行くと脇道入る場所があってそこに「25番札所寺」への手書きの立て札がありました。

 

その下には道しるべ石です。「みぎ廿五番」となっています。


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そこを右に曲がって入っていきますと、住宅地の中を通るけっこう細い道なのですが、江戸巡礼古道久那みちの札がかかっていました。古道が残されていたことがわかります。

 

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細い道を出て、左に曲がりまた右の道へ入ります。途中住宅に入る道もありますが、ほぼまっすぐの道を通ります。巡礼道の札に沿っていきます。

 

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くねくねした道ですが、 道なりに歩いていくと、前方に久那小学校が見えてきます。そのまま道に沿って歩いていきます。

 

これは久那小学校の校庭があるほうの道になります。久那小学校の校庭が見える道を歩いていくと、途中で学校の金網前、道の左側に道しるべ石があります。

 

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この道しるべ石ですが、最初見た時「右 二十五番」だけかと思ったら、脇の面にも書いてあってそちらには、「ひだり二十四ばん」となっていました。 

 

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久那小学校を回るようにして道を歩くと、二又になります。そこを右の方向に進みます。

 

田んぼが広がる場所に出ますが、田との境に、道しるべ石がありました。「みぎ二十五ばん」と書いてあります。

 

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水田と水田の間の農道を通りぬけ、住宅の間を通ると目の前に札所二十五番、久昌寺の山門が見えてきます。

 

山門の手前にはお地蔵様もありました。その横には「二十五番」と書かれた石柱が立っています。その石柱の向かって左には、「御手判寺」と書かれています。

 

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山門前にある石橋を渡り、山門を通りますが、山門の右側にも道があり、山門から入っても右側の道に続いています。石橋が建立された時のものと思われる「石橋建立供養塔」もありました。

 

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山門に向かって左の道をまっすぐ進みます。左に石詰みの壁がある道です。その先にあるのが観音堂です。

 

左側は切り立った崖のそばに立っている観音堂です。ジオパークとしても見どころの場所でしょう。

 

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切り立った崖の下に観音堂があるというのは、二十八番の橋立堂や三十一番の観音院も同じです。

 

他にも、二十六番の岩井堂や三十ニ番の法性寺も含めることができると思います。

 

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観音堂の裏手には大きな弁天池が広がっています。一面に氷が張った時の弁天池です。

 

この池が夏には蓮の花や睡蓮の花でいっぱいになります。 

 

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上の写真が夏の時。冬の氷で覆われた池とは夏の終り頃に行った時と、光景が違って見えます。

 

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彼岸花が少し咲きはじめていた時期だったので、盛夏の時なら、もっと古代蓮や睡蓮が咲いていたことでしょう。蓮は多くが花が終わり、実になっていました。