秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所三番から四番へ2つのルート

札所三番の常泉寺の前の道からスタートです。

 

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札所三番から参道となる畑道があります。駐車場の先に用水路があり、左に曲がってその用水路にそって行きます。

 

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ここは「ふるさと歩道」と呼ばれていて、車道とは別の徒歩道になります。

 

4番へのルートは2つ可能性があるのだ、と言われています。私は近道ルートと遠回りルートと呼んでいます。

 

個人的には遠回りルートが本来の道ではないかと考えています。

 

江戸時代の案内記である『秩父順礼独案内記』には、四番への道として、小川を渡って坂をのぼり、細道を通って、とても紛らわしいと書かれています。「坂をのぼる」のは、遠回りルートのほうです。ただし、かなり遠回りとなるルートなので、途中から近道ルートが開発されたのかもしれないと思っています。

 

また『秩父順礼独案内記』には四番までは距離が十三町五間あると書かれています。これだと近道ルートと遠回りルートの半分くらいの距離なのです。近道ルートだと書かれているより短いですし、遠回りルートだともっと距離があります。

 

そのため、どちらなのかの判断が難しい点になっています。今の時代は、遠回りルートのほうは、あまり通る人がいないように感じます(遠回りですし)。とにかく、途中までは、近道ルートも遠回りルートも同じ道を歩きます。

 

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用水路前の道を通ると、分かれ道の先に心求・はまの石です。

 

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「四番道」と書いてあります。左の道を歩いていきます。

 

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住宅地の中を 少し歩くと今度は先ほどの石と似ているのですが、「右 四番道」の石です。

 

T字路のようなところの二又の右の道を選び、ゆるく左にカーブしていく道を道なりに歩きます。梅林を通ると、もう少し広めの道路にでるので、そこを右に行きます。

 

 

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しばらく歩くと、「ふるさと歩道」の看板が見えるので、そこを左に曲がって橋を渡るのが近道ルートです。ここを曲がらずにまっすぐ歩くのが遠回りルートになります。

 

まずは近道ルートから紹介します。

 

 

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左に曲がるとすぐに「秩父ふるさと歩道」の橋が見えます。以前は「旅館山田温泉」があったそうですが、その横にある「秩父ふるさと歩道」の橋を通ります。

 

山田温泉の跡ではないかと思う建物がいくつか残っていました。

 

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 旅館山田温泉と書かれた民話の立て札です。旅館山田温泉の代表取締役の新井トメさんが書いたようです。「お止めばし」の話だそうです。

 

昔、巡礼さんが、札所三番から四番に行く途中、横瀬川を渡ろうと橋の袂に来た時のことです。雨上がりで水かさが増していたのですが、渡ろうとしたら、「渡るな、渡るな」と聞こえる風の声。そうしたら、大きな木が流れて橋が流されたという話です。

 

あの声は観音様が助けようとした声なのだと感じ、さらに観音様に感謝したということです。渡るなと止めたから、「お止めばし」なのですね。

この看板があるこの場所も旅館の敷地だったのでしょうか。

 

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この「お止めばし」のそばには、以前は昔の橋桁台があったそうなのですが、私が見た時は木々が茂っていて見つからず。

 

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渡ったあと今の橋の全体像です。 江戸時代なら、橋ではなく、実際に川まで下り対岸に行って段丘を上ることになります。対岸に渡ってから、右に行き、左に曲がる道を歩いていきます。現在は、橋を渡るので、そのまま歩道を歩いて行きます。

 

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反対側からだとわかりやすいのですが、少し歩くとお地蔵様があります。ここをVの字に左へ行くと新木鉱泉の旅館へいきますが、巡礼古道はさらにまっすぐ歩きます。

 

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しばらくあるくと如意輪堂があって、その前に「番道」となっている道しるべ石です。

上が欠けてしまっているので、何番とか書かれていたのかがわかりませんが、おそらく四番への道しるべでしょう。

 

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その道しるべの後ろには、三体の石仏。真ん中は如意輪観音だと思います。如意輪堂ですから。

 

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県道のバス通りが見えてくるので、渡ります。

 

その前に少し紹介です。県道を左に少し行くと右手に「新木茶堂(新木公会堂)」が見えます。新木は「あらき」と読むのでしょう。石碑には新木茶堂と書かれてますが、新木公会堂となっていました。

 

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その隣には、馬頭観世音の石碑もありました。

寄り道はここまでにして、県道を渡ったところからです。

 

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 「秩父札所第四番目観音霊場」の寺標です。近道ルートも、遠回りルートもここに到着します。

 

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寺標の真横にあるのが「右五番道 左四番道」と書かれた心求・はまの石です。

 

ここから先は、近道ルートも遠回りルートも同じ道になります。遠回りルートは後で紹介するとして、ここから札所四番への道を続けます。

 

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さらに先に進むと、道が二又に分かれる三角地のところに着きます。

 

三角地には、他にも道しるべ石がありますが、行きにみるのはこの石です。

「左 四番道」心求・はまの石です。ここの分かれ道を左に行きます。

 

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道なりに歩き、直角に曲がっていくところの曲がり角の塀のところに「右二番 左五番道」の道しるべ石がありました。この石は帰りにも見ることになります。

 

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ここの角を曲がると目の前が札所四番の金昌寺です。駐車場のそばの自動販売機のところに、「正面三番へ 右五番みち」の道しるべ石がありました。

 

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大きなわらじが出迎えてくれる金昌寺の山門です。後ろに山があります。『江戸順礼独案内記』でも「四番、荒木」(新木ではなく荒木)として、山の手にあることや書かれていて、ここから後ろに見えるのが高篠、と書いてありました。札所二番の真福寺がある山が「高篠山」と呼ばれていますが、それと関係があるのでしょうか。その他、茶屋や旅籠があると書かれていました。ついでに、札所五番への道は「村路」と書かれていました。

 

この上の写真の右に少しだけ見える自動販売機の下にあった石が、先程の「正面三番へ 右五番みち」の道しるべ石です。

 

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帰りになって初めて気がついた石なのですが、境内の山門すぐそばにあった「左二番 右五番みち」の道しるべ石です。納経所を出たところにあって、帰りに気がついた石です。

 

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石のついでに板碑も紹介します。境内にあった板碑です。 

以上が「近道ルート」のほうの札所四番の金昌寺までの江戸巡礼古道です。

 

では、別ルートである「遠回りルート」です。

 

先程見た「ふるさと歩道」の橋の手前の分かれ道です。「ふるさと歩道」の橋を渡る近道ルートは左に曲がりますが、遠回りルートはここから分かれ、まっすぐ先に歩きます。

 

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こちらは、ゆるやかな坂道になります。こちらの遠回りルートは、清水橋を目指して行きます。清水橋は大正時代に「語歌橋」ができるまでは秩父市内とを結ぶ重要な橋だったと言われています。

 

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坂道を上ると道の右側に道祖神の石碑が岩の上に立っていました。 

 

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この道は高台になるので、武甲山も見えて見晴らしがいいです。

 

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坂を登っていくと、妙見宮の石碑です。他にも大黒天や猿田彦大神の碑もあります。四基が台座に乗っていてその4つとも、しめ縄がついていました。台座の前には大きめの石が置いてありました。

 

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さらに行くと、道がゆるやかに左にカーブしていくのですが、その曲がるスタートとなる場所の右手に稲荷神社が見えました。

 

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道に沿って歩いていくと、突如、民家の前にお墓があります。これは、「数道軒大算芳覚居士」と書かれた墓です。算術家の大越芳太郎正義の墓です。

 

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後で調べたら、辞世の句が左側に刻まれているとのこと。その後、再度行ってみて向かって左側を写真に撮りました。

 

しばらく歩くと、深沢という沢というか、とても小さな川があります。あまりにも小さな川だったので、私は初めて行った時、この先にある橋と間違えてそちらまで行ってしまいました。

 

このように見落としがちなのですが、道の左側に石碑があります。この手前に深沢という沢を下る道があります。

 

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深沢という沢を少し越えた場所にあり、目印のようになっていました。石柱と道しるべ石があって石柱の「正面 秩父町」は読めました。石柱の 「正面 秩父町」の隣に書いてある文字ですが「沢」という文字は見えるのですが、とにかく薄いです。

 

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向かって右から見ると、石柱には矢印付きで、「清水橋ニ至ル」と書いてありました。この近くにある清水橋は重要な橋だったことがわかります。丸い形をした道しるべ石は、「右 四ばん 左 三ばん」となっています。

 

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さて目印の石がなんとか見つかったので、深沢を左に曲がって細い道を通ります。坂を下りていくとその先に清水橋があるということなのです。

 

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まずは道しるべ石から少し戻って下る道に入ります。 夏だと雑草が覆われていそうな道ですが、道があることはわかります。

 

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下り坂の途中に上が欠けているような石仏がありました。 

 

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このように草に埋もれているので見つけにくいかもしれません。

 

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 さらに下っていくと、少し暗い道になっていきます。

 

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少し左にカーブしますが、道なりに下っていきます。

 

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今度は右にカーブした道で、先のほうに清水橋が見えてきました。

 

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清水橋に着く手前に馬頭観音の石碑がありました。

 

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語歌橋ができるまでメインに使われていたという清水橋に到着です。

  

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先程も書きましたが、初めて行った時に、道を間違えて大回りをしてしまった時の清水橋を撮った写真です。こちらは舗装された道路を通りました。

 

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これが清水橋です。河川敷の工事が済んだばかりとみえて、岸はきれいになっていました。

 

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上流にある「語歌橋」が大正十二年にできる前まで、この清水橋が川東地区を結ぶメインルートだったそうです。河川敷がきれいになる前は、橋桁の跡などもあったそうですが、今は河川敷がきれいになっていて跡はないです。昔は木造の橋を何度も架替えていたのだとか。 

 

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清水橋を渡ると、すぐに二又の道に出ます。ここを右の坂のほうへと登っていきます。

 

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かなりの急坂を上ります。

 

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上っていくと、清水馬頭観世音のお堂が見えます。さらに道に沿って歩いていくと、県道11号のバス通りに当たります。

 

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県道に出てからは左に曲がりますが、島田醤油店のほうへ少し寄り道をしました。バス停近くから武甲山が見えました。

 

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島田醤油店の前がバス停になっていました。このバス通りの県道11号を札所三番方面に戻るようにして歩きます。

 

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しばらく歩くと、薬師堂があります。額に「薬師如来」と書かれています。

 

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薬師堂の裏手、正面からは右隣には、馬頭尊の石碑が2基と塞神の石碑が1基ありました。その裏にお地蔵様が置いてありました。

 

その後は、ヤオヨシ横瀬店の前を通って、札所三番や四番のほうへ戻るようにして歩きます。

 

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消防署の隣にあった大きな門。昔からあるような建物です。どことなく山門のような造りに見えました。ここからもう少し歩くと、横瀬町から秩父市へと入る境界になります。

 

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横瀬町からまた秩父市に入るという手前にカワセミが上に乗った道案内(横瀬町が作っているのか?)がありました。これを見ると、札所5番方向もわかります。今は札所4番の方向に歩きます。この道案内の近くにも道しるべ石がありました。

 

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裏をみると大正十一年四月となっていて、 表には「正面 札所五番方面」とあり、矢印付きで右に「高篠村方面」、左に「秩父町方面」と書かれていました。大正時代ですから秩父は「町」だったのですね。

 

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栄橋という小さな橋を渡ってしばらく歩くと、 近道ルートの時に写真を載せた「秩父札所第四番観音霊場」寺標が見えてきます。旅館新木鉱泉の看板が県道を渡った反対側にあるので、それも目印になります。先ほども書いたように、心求・はまの「右五番道 左四番道」と書かれた石から先は近道ルートも遠回りルートも同じ道になります。

 

以上が札所四番までの道となります。遠回りルートには道しるべ石も残っていますし、清水橋という以前はメインとなっていた橋があることから江戸時代は遠回りルートのほうが巡礼道だったのではないかと思う次第です。もしかしたら、江戸時代の半ばくらいに現在、巡礼道と案内されている近道ルートに切り替わったのかもしれません。