秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所九番から十番へ(横瀬歴史民俗資料館前にある道しるべ石についても)

札所九番から十番への道は、札所九番前にある三菱マテリアルの工場へ出入りするトラックも行き交う道からスタートです。

 

なお、何度か書きましたが、ブログ完成後に今度はどの道を通ったのか、手書きの地図を作成する予定です。

 

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札所九番明智寺境内のツツジの向こう側に見えるお地蔵様の後ろの道路を歩きます。

三菱マテリアルの工場を背にして、トラックが行き交う道を下りて行きます。

ここの道を下りていくと、横瀬町の町民会館や図書館、歴史民族資料館の方面に向かいます。

 

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横瀬町の町民会館へと行く道ですが、本来の江戸巡礼古道は、途中で道路と並行してもう少し左側にあったそうです。これは坂道の途中にあった石なのですが、ここから左に少し行った目印の石だったのか?今は、舗装道路の少し左に入った古道は不明になっています。

 

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舗装道路の道沿いにゆるく左にカーブして坂道を下りていきます。さらに坂道を下っていくと、舗装道路の途中で右側にガードレールがあります。

 

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本来の巡礼古道は、このガードレールの間を抜けてここから直線コースで下へと下ったそうです。確かに、今もガードレールの途中で下に降りることができるようになっていました。古道を残しておいてくれたのでしょうか?

 

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ここから国道に降りることができました。

 

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坂道が終わる途中で、ガードレールを抜けて、横瀬町民会館前のバス停のところで、国道299号に当たります。国道299号に着いたら、左に曲がり横瀬町民会館の方へと国道沿いに歩きます。

 

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町民会館前の交差点まで行くと交差点には、左側に「秩父観世音霊場第九番 明星山明智寺」の寺標がありました。この交差点は、変則的な四つ角になっていて、この寺標のところは、二又の道になり、その左には、明智寺方面から下りてくる道があります。

 

なお、国道299号を少し歩くと、町民会館に向かって左側にJAちちぶ横瀬店と町民会館との間の道があってそちらに入ると、横瀬町歴史民俗資料館があります。

 

ここで巡礼古道から外れますが、横瀬町歴史民俗資料館の玄関先にある、道しるべ石についても書いておきます。

 

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この歴史民俗資料館まで来る道は巡礼古道ではないのですが、横瀬町歴史民俗資料館前に道しるべ石があるのです。

以前は、横瀬町図書館前にあったそうなのですが、おそらく今よりも国道299号寄りにあったのだと思われます。

 

歴史民俗資料館の玄関に向かって、表側から見ると「みき 九はん」となっています。

 

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裏から見ると残念なことに上部の石が少し欠けていて「たり 十はん」と「ひだり 十ばん」の意味だったのでしょう。この道しるべ石が図書館前にあったわけです。

 

また巡礼古道に戻ります。

 

町民会館前の交差点にある「秩父観世音霊場第九番 明星山明智寺」の寺標のすぐ前まで戻りますと、二又のところで最初は国道と平行に走る左の細い道を歩きます。橋のようなものがかかっているので、そこを渡ります。

 

この道は、右にゆるくカーブしていて、結局は国道299号に合流します。

  

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こちらの道は脇道なので国道のように車の往来が激しくなく、右には横瀬郵便局もあります。

 

左手は高台の崖になっていて、途中お墓があります。それをさらに国道299号の方へ歩いていくと、国道に当たる少し前にまたもやお墓があって、その左隣りに、大日如来の祠がありました。高い場所にありまして、小さいながらも立派な建物です。

 

また国道299号に戻ってくるので国道を歩きます。少し歩くと横瀬小学校が右に見えてきます。

 

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その横瀬小学校の敷地内に、薬師堂がありました。なぜ小学校の敷地内に薬師堂があるのかな?と以前通った時から思っていました。

 

敷地から分けるわけでもなく、小学校と一体化してます。

 

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さらに国道299号を歩いていきますと、横瀬小学校の敷地が終わる下のほうに沢が見えてきます。国道299号にかかる橋は、兎沢橋といいまして、その下に見える橋が巡礼古道となっている申橋です。

 

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しかし、今は、小学校から申橋を渡るルートは道が残っていません。赤字で書かれた巡礼道の文字と、巡礼さんの絵かな?

 

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そこで、兎沢橋の先にある下へ降りる階段が右側に作られているので、そこを下りて行きます。下りた先に大きな石と小さい石が民家の前にあるのが見えます。

 

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これが沢にかかる申橋(さるはし)です。ここまでの道がわからないので、ここを渡ったことにして、先程の階段を下りたところまで戻りますと、道しるべ石と馬頭観世音の大きな石がありました。

 

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まずは、「天下太平」と書かれた心求・はまの道しるべ石です。「みぎ 十番 ひだり 大宮」と書かれています。大宮は秩父市内のことです。宮=秩父神社でしょう。

 

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その隣には大きな石です。馬頭観世音と書かれた文化十四年の石碑です。

 

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2つの石、道しるべ石と馬頭観世音の石に向かって、右側に民家の脇を通る細い道があります。そこをまっすぐ入って、申坂と呼ばれる坂道へと歩いていきます。

 

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申坂の途中の民家の前に、2基の石がありました。

 

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向かって左は道しるべ石です。「ひだ里 十番」と書かれています。

もう一つは「奉納 百八十八番」と書かれた石でした。ここを曲がると、寺坂棚田の方面に向かう道につながるそうですが、巡礼古道ではないので、このまままっすぐ坂を上っていきます。

 

この先まで坂を上ると十字路になっています。

 

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その十字路の右斜め前に道しるべ石がありました。心求・はまの道しるべ石です。

「右 志かう道 中 十番道 左 大宮」となっています。

 

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「中 十番道」を中心に、両脇に「右 志かう道」 「左 大宮」となっています。大宮は秩父市内のことで、「志かう」は慈光寺(坂東三十三観音の札所)のことです。

 

慈光寺については、これまでも何回か石に書かれていました。場所的に近いということもあるのでしょうが、江戸から秩父札所まで行くついでに慈光寺に立ち寄ってから札所の巡礼に来る人たちもいたようです。

 

十字路を渡ってからこのまま直進して歩いていきます。しばらくすると、二又道にあたりますので、そこを右に入っていきます。

 

100メートルほど歩くと、目の前に横瀬中学校が見えてきます。その手前に敷地があって、お地蔵様が入っている赤い屋根の祠が見えてきます。

 

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ここでは、お地蔵様が丁寧に祀られていました。子育地蔵尊です。姿子育地蔵尊と書かれて、説明の札がかけてありました。お地蔵様は三体ありまして、真ん中のが古いもののようでした。

 

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文政十一年建立の地蔵尊のほか、祠の奥には宝暦四年の回国巡礼供養塔(西国、四国、秩父順礼か)もありました。 

 

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祠の隣には、心求・はまの道しるべ石です。「ひだり 十番 みぎ 九番」と書かれています。

 

この祠の先、突き当りに横瀬中学校があるところで、左に曲がります。横瀬中学校の看板がある十字路もさらにまっすぐに進むと、また十字路になります。

 

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この十字路の左に美容院のお店があるのですが、その店の脇に上が欠けた道しるべ石がありました。

「た里 九番」とだけ見えます。おそらく「ひだ里 九番」(左 九番)だったのではないかと思います。

この十字路を右に曲がります。少しだけ歩くと、すぐに左に入っていく道が見えます。

 

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この旧道のような細い道を斜めに入っていきます。


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細い道なのですが、振り返ってみると、武甲山が目の前によく見える道でした。この旧道を歩いていくと、大堀川に当たります。

 

大堀川から先は、一帯が整備されて古道がわかっていないそうです。おそらくなのですが、川を渡って、川沿いを歩き、400メートルほど行ったところの交差点で、左に曲がって県道11号のほうへ向かって行きます。

 

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県道を渡ると、「摩利支尊天」の石柱が見えるので、その参道らしき道をまっすぐ歩きます。

 

 

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参道らしき道を歩くと、石灯籠が見えるので、その四つ角を右に曲がります。

 

 

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四つ角の目の前には、「本橋家気楽流柔術資料」と書かれた案内板がありました。横瀬町の指定有形民族文化財となっているそうです。幕末から明治にかけて盛んだった柔術とのことで、本橋家には、当時の資料が残されているそうです。

 

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その四つ角には、ほかにも道案内板があって、その下にも道しるべ石がありました。「札所へのみち」の石です。「右 九番 左 十番から五番」と書かれていました。この四つ角を右に曲がって、まっすぐ行くと、札所十番に到着します。

 

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札所十番の入口には、大きなお地蔵様(石造地蔵菩薩坐像)があるので、すぐにわかります

 

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そのお地蔵様の隣下に、心求・はまの道しるべ石があって、「ひたり 十一番」と書かれています。宝永貳年となっています。

 

 お地蔵様からの参道を少し歩いて石段を上れば札所十番、大慈寺の山門があります。

 

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この写真にも見えますが、その石段を上がる手前、左に祠があります。そこには「ひだり 三ばん」と書かれた庚申供養塔がありました。 

 

秩父札所はアニメにも登場するお寺がありまして、ここ大慈寺は、「ここさけ」すなわち、「心が叫たがっているんだ。」の舞台となっているそうです。上の写真をみたら、ファンならすぐにわかるかと。同じく秩父を舞台にした「あの花」はテレビで見たのですが、「ここさけ」は見ていないので、どんな感じで登場していたのか不明です。

 

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さて、この祠の中の道しるべ石ですが、突然、三番です。それも「ひだり三番」です。

なぜ十番から三番?

 

札所十番の大慈寺の裏には、小高い山のような場所があって、尾根道を歩く遊歩道になっているのですが、その遊歩道が札所三番までつながっているそうなので、それと関係があるのかなと思いました。次回書きますが、十番裏手の遊歩道は歩いたのですが、十番から三番までは、まだその遊歩道を歩いたことがないので、わかりません。

 

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札所十番の山門に上がる石段の途中にも心求・はまの道しるべ石です。

「みぎ 十一番道」と書かれています。

 

 なぜ参道入口の道しるべ石は「左」が十一番となっていて、山門に上がる階段の途中の道しるべ石は「右」が十一番なのか。それは、十番から十一番への道が、2通りあったからではないかと思われます。

 

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なお、今回は摩利支天堂の参道のようなところから入る道を紹介しましたが、大堀川から先は巡礼古道がわかっていないそうなので、上の写真にあるように札所十番のすぐ前につながる道(農道のような道)も使われていた可能性がないとも言えません。

 

札所十番の前は田んぼになり、裏には小高い山(森のように見えるところ)がひかえていることからもわかるように、観音堂からは前が開けていて眺めがいいです。