秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所二十九番から三十番へ

二十九番からの道は、次の札所までが離れていてかなりの距離を歩くことになります。

 

これ以降は写真も多めになります。なんせ長い距離ですから。

 

西武秩父駅や秩父駅周辺の札所は次の札所まで、サクサクと進んだのですが、今回以降は、まだかなというくらい長い話になります。

 

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 札所二十九番の長泉院の山門を出てから、左に歩いていきます。

 

1つ目の角を左に曲がります。まっすぐ歩いていくと、秩父市荒川上田野の共同調理場給食センターが見えます。学校給食センターのようなものだと思います。

 

その建物のすぐ手前に道しるべ石です。「右 廿九番」と書いてあります。

 

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巡礼道は実は2つルートがあったそうです。

これはその2つの道が合流する地点にあった道しるべ石だったそうです。

 

桑畑の中を通る道だったそうなのですが、見えるのは森のような木々が生い茂るところと民家の庭先のような場所でした。なんとなく道しるべ石のところまで来る道はあるように思えたのですが、その先が道があるのかどうかわからなかったです。

 

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さらにまっすぐ歩いていくと、以前桜の時期に行ったことがある清雲寺への道が左の脇道に見えてきました。

 

この付近から桜の時期には臨時駐車場になるような場所がいくつか見えます。

 

さらにまっすぐ歩いていくと、道の左に「清雲寺と若御子神社参道入口」の看板が見えます。そのそばに「念仏塔」の石碑です。これは安政五年のものと言われています。

 

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この写真は桜の時期だったので、巡礼道からいったん離れて、まずは若御子神社に立ち寄りました。

 

参道の鳥居と狼タイプの狛犬です。肋骨が見えるタイプは狛犬というより狼なのだそうです。

 

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社殿前の階段のところにある狼タイプの狛犬と鳥居です。

 

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若御子神社の境内に上がる階段のそばには、勢至菩薩や弁財天、庚申塚など石碑がありました。神社ですが、菩薩とか。

 

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ここまで来たので、若御子断層洞も見学しました。

 

この付近では熊が出たこともあるそうです。

 

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断層洞は、若神子神社の裏手にある山の途中にあります。山のほうからは、若神子神社の参道と、隣にある清雲寺へ続く道が見えました。

 

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枝垂れ桜の時期は人が多く集まる清雲寺です。樹齢600年の枝垂れ桜は一度は見ておきたいです。

 

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本堂には、清雲寺事件の弾丸跡があるそうです。境内にはお地蔵様のほか、如意輪観音や馬頭観音の石碑もあります。

 

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さて、話を巡礼道に戻します。

 

神社の参道から巡礼道に戻りまして、先へと進みました。

 

若神子神社と清雲寺の先程の参道入口からさらにまっすぐ歩くと左にゆるくカーブして、変形の四つ角に当たります。

 

反対の向こう側から歩いて来ると、二又になる分岐点に供養塔や馬頭尊、大黒天など石碑がいくつかまとまってあります。ここは廃寺跡と言われています。

 

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その中のひとつ、地蔵菩薩の台座に「右 三十番」と書かれていました。

 

歩いて来た道の右側にあった地蔵菩薩です。台座はしっかりしていましたが、地蔵尊はかなり崩れてしまっていました。ここの道をV字のようにして右に曲がります。

 

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右に曲がってすぐのところに、左に入る道があります。武州中川駅へ向かう道になります。

 

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道なりに歩いていくと、二又になった道の分岐点に、「札所 三十番道」と書いた道標が立っていました。巳待塔もありました。

 

その分岐点では、右側を通ります。そこからはひたすら武州中川駅を目指して歩きます。

 

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武州中川駅に向かう秩父鉄道の線路脇に出る道とさらに先に進んでから武州中川駅に行く道との分かれ道の正面に、江戸巡礼古道の札と、如意輪観音の石像と地蔵菩薩の石像がありました。

 

ここもさらにまっすぐ先に進みます。しばらくすると、秩父鉄道の線路が見えて来ます。

 

本来の巡礼道は、線路を突っ切って駅を横切り国道140号、秩父往還の道まで出るのですが、現在は駅を横切れないので、いったん左に曲がり線路に沿って歩きます。

 

道路のその先に踏切があるので、踏切を渡って向こう側の国道140号の方へと向かっていきます。

 

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 ちなみに、これが武州中川駅です。

 

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国道140号、秩父往還に向かっていくと、右手にJA荒川の建物が見えて、その道の左側に地蔵菩薩座像があります。台座の下の石は新しくなっていました。ここからは国道140号に沿って歩きます。

 

 

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荒川東小学校前に国道140号から右の脇道へ入る二又があります。

 

ここの入口には、「歴史の道 秩父甲州往還道」と書かれた柱が立ってました。ここは荒川総合支所の裏手の道になります。

 

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道なりに歩いていくと、二又に分かれる道があり、左の道に少し入ると、巳待弁財天供養塔があります。

 

その対面に、歴史の道秩父甲州往還道の柱が立ってました。左の道には入らずに、右の道を道なりに歩いていきます。

 

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右の道を歩いていくと、川の方へと下る道が見えてきます。そちらの道を歩いて安谷川へと向かっていきます。

 

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川へと下る道の途中に「史跡 翁塚 」と書いてある柱がみえます。

 

ここには、前に札所二十八番から二十九番へ向かう途中にあった「諸の翁塚」と同じく、芭蕉の句碑があるのです。

 

秩父市のサイトによると、「安政2年(1855)建立、自然石の碑には『む可し幾計 秩父殿さへ 寿まふとり(昔きけ 秩父殿さへ すまふとり)』と記されている」とのこと。

 

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さらに道を下っていくと、川が見えてきます。

 

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沢のようなところを渡る橋も見えてきました。 

 

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しかし、この先は現在、通行止になっていました。

 

本来なら、先程見えた木の橋を渡って対岸に行くのが江戸巡礼古道だったのですが、残念ながら、今回は回り道してから対岸を上っていく道へ行くことにしました。以前に江戸巡礼古道を歩いていた人のブログを読むと、川を渡ればすぐに上にいけるようでした。

 

古道は荒川中学校の裏手の坂道につながるとのことなので、まずは荒川中学校へと向かいました。

 

 

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国道140号、秩父往還の道まで戻りました。途中、荒川上田野の坂口にある薬師堂など見ながら荒川中学校へと行きます。

 

ここの薬師堂には薬師如来立像があるそうです。秩父市によると、「木造寄木造、像高約2mである。元禄期贄川の常明寺の住職であった即道の作といわれている」とのこと。

 

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国道140号の秩父往還にもいくつか石碑はあって、巳待塔のようでした。

 

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遠回りをしたついでに安谷橋を見ながら、国道140号を歩きます。

 

国道140号の道路と、橋の上の公園になっている安谷橋と、秩父鉄道の橋と重なって見えます。3つの通りということです。一番奥に見えるのが秩父鉄道の橋です。

 

ここは、秩父鉄道を写真に撮る人たちの撮影スポットになっているそうです。確かに、遠くに山々も見えて景色がいいです。

 

安谷橋のところを過ぎると、荒川中学校が近くなってきました。 

 

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ちなみに、安谷橋という名前から、秩父鉄道の鉄橋かと思っていたのですが、橋の上の公園のようになっている場所、橋が安谷橋でした。

 

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国道140号から荒川中学校はすぐ見つかりました。中学校の裏手にはお地蔵様のほか庚申塔など石塔が固まってある場所がありました。ここが古道の道端だったのでしょう。

 

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そこで、安谷川の対岸はどこだろうかと探してみることにしました。

 

「安谷川の対岸に渡ってからは坂道を上る、その後荒川中学校の裏手に出る」ということが歴史の道報告書に書いてあったので、中学校裏手のお地蔵様のところを過ぎてまっすぐ歩いてみました。

 

「歴史の道 秩父甲州往還道」という荒川支所の裏手でも見た歴史の道の柱が立っていました。

 

そこには「安谷川を経て、上田野に至る」と書いてありました。これだ、ここが秩父甲州往還だと思って、そのまままっすぐ行ってみることにしました。

 

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その先は、民家の家の前のような雰囲気で、おそらくこの坂道を上ってくるのだろうなと思う場所は見ることができましたが、下までは降りませんでした。

 

この川を渡った対岸側には無かったのですが、先程の川を渡る前の道には「通行止」と標識があったので念の為に、下へ行くのはやめておきました。

 

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ということで、ここはいったん対岸から上がってきたことにして、まっすぐ歩いてお地蔵様のところまで戻りました。

 

荒川中学校が前に見えてきて、突き当りが荒川中学校という場所の道の左手に お地蔵様と庚申塔があることを確認しました。

 

「一の木戸」という地名なのでしょうか。庚申塔に書いてありました。そのほか、石仏らしき像や石碑もありました。

 

中学校の裏手に残しておいてくれているのです。お地蔵様のところで、右に曲がって、中学校のグランドに沿って歩きます。

 

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途中、二又になる場所もありますが、そのままグランドに沿って行きます。 桜の時期だったので、学校の桜並木道を歩いて行きました。

 

ここ付近一帯は文教地区なのか、歴史民俗資料館や荒川公民館、荒川幼稚園もありました。それらを左に見ながらまっすぐ歩きます。

 

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下り坂になってきたと思ったら、矢崎沢と呼ばれるところを渡りました。沢というのですが、水が流れているのはあまり見えなかったです。

 

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その先を行くと、今度はゆるい上り坂になります。道なりに歩いていくと庭に花の木が美しい家の前で道が左にカーブして、国道140号に出ました。

 

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国道140号、秩父甲州街道に出る直前の道の右側には、馬頭観音の石碑がありました。これらも昔は目印となったのでしょう。

 

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大きな橋が右側にあるのを見ながら、さらに国道140号を歩きます。「道の駅あらかわ」の看板が見えてきます。

 

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しばらく歩くと、左脇に旧街道のような脇道が見えてきます。

 

その分岐地点に立つ石碑です。三峰山講中が建てた石碑です。「左舊(旧)道」となっています。

 

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石碑の右側は、「三峰山新道」です。今の国道が新道なのでしょう。

 

国道ではなく、旧道に入っていきます。旧道の方が、高い場所になります。さらにまっすぐ行くと、「道の駅あらかわ」の看板が見える二又道になります。右側の道を歩きます。

 

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しばらく歩くと、振り返る形になりますが、すぐに見つかると思う場所、道の左側に延命地蔵菩薩が祀られた祠があります。

 

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その地蔵菩薩の台座にも道しるべです。「右 浄光寺道 左 大宮道」大宮は秩父市内のことです。

 

その前には「松葉区」の文字も見えます。調べてみると、浄光寺はすぐ近くの寺院でした。

 

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地蔵菩薩の祠からほどなく駐車場のような広場のところに、また「歴史の道 秩父甲州往還道」の柱がありました。

 

ここでは「日野を経て白久に至る」と書かれていました。

 

ここは国道140号に比べたら、車の交通量も少なく感じました。これからの道は武州日野駅から白久駅方面に向かいます。日野地区から白久地区への道です。

 

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駐車場のような広場が終わり、道の右側、ガードレールのところに馬頭観音の石仏がありました。

 

本来の巡礼古道は、この馬頭観音のところから、右に降りて、将軍沢を渡ったそうです。

 

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 現在は沢への道がないので、そのまま歩いて将門橋(まさかどばし)を渡ります。 

 

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将門橋を渡り終わったら、道の左脇のところに馬頭観音の石像です。

 

こちらは草に埋もれているうえ、二つになっているのか全体像がよくわかりませんでした。「馬」の字は見えると思います。

 

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秩父甲州往還の道を歩いていきます。途中、くねくねした道になりますが、前方に秩父鉄道の線路が見える手前で、道の左側、道から高台に上がったところに薬師堂がありました。

 

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ここの薬師堂は令和二年に建て替えられたばかりで、新築でした。

 

薬師堂の中には木造薬師如来像があるそうです。

 

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薬師堂のすぐそばに文化三年の馬頭観音像と、地蔵尊が二体、ありました。

 

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薬師堂からも正面に秩父鉄道の線路が見えます。

 

大きく右にカーブした道を歩いていきます。ここから先は、道のすぐそばを秩父鉄道が通るところを歩いていきます。

 

巡礼古道は、沢のところで、秩父鉄道の線路を向こう側に行ったり、来たりする部分がありますが、現在は通れないようです。線路があるからでしょう。

 

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 秩父鉄道の線路に急接近した場所からは、荒川白久に入るそうです。

 

白久の地域に入ってすぐに、道の右側、森のように木々が茂っているところに畠山重忠の乳母を祀ったといわれる祠(乳母神様)があります。

 

私自身も通り過ぎてしまって探しながら再度戻り、なんとここにあったのか、と気づいたくらい気をつけてみないと、通り過ぎてしまうような場所にあります。林の木々の中にあると言ってもいいでしょう。

 

地元の人々からは、この神様はオバッコと呼ばれていて風邪の神様として信仰されてきたそうです。

 

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近くには「 姥神橋」という橋もあるくらい乳母神様は信仰されてきたのでしょう。

 

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しばらくは秩父鉄道の線路沿いを歩くことになります。

 

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湯の入沢のところに、赤い橋の秩父鉄道の線路があります。沢の直前で秩父鉄道の線路を下で越えて向こう側に行き沢を渡ったところで、秩父甲州往還に戻る道があります。

 

その道が巡礼古道だそうです。見えるのですが、今はそちらは通行はできないようになっていました。

 

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確かに遠くから見ても旧道っぽい感じは残っていました。

 

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赤い橋の下の旧道らしき道が、今歩いている秩父甲州往還に戻り、そこからすぐの場所の左側に三体の「馬頭観音」「馬頭尊」の石碑が建っていました。

 

この中のひとつが寛政九年のものだそうですが、線路沿いの高台に上がる道は塞がれていて、近寄ることもできませんでした。

 

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さらに歩くと、線路脇が草原になっているところが見えてきます。そこには、またもや薬師堂がありました。

 

この荒れ果てた薬師堂から秩父鉄道の線路の向こう側に行くのが巡礼古道だそうです。 

 

 

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線路付近から向こう側を遠くから見てみると、草原のようになっていて道がよくわかりませんでした。 

 

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おそらく向こう側を線路に沿って歩いて、この踏切に出るのだと思われます。

 

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この踏切から下に歩いていくと、この写真に見える秩父甲州往還に建てられた道案内の柱があります。

 

この場所でまた秩父甲州往還の道に戻るのだと思います。今で言えば、巡礼道は秩父鉄道の線路をまたいで越えたり、戻ったりした道だったようです。江戸時代は秩父鉄道の線路は、当然のことながら無いわけです。

 

この標識によると白久駅まであと550メートルとのことです。

 

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なお、先程の踏切のところから、標識が立っている合流する地点までは高台にあるので、とても眺めがよい道を通ります。 

 

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白久駅までの道には、ニリンソウやカタクリ、アズマイチゲの自生地がありました。

 

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カタクリの花の時期は終わっていましたが、ニリンソウが咲いていました。

 

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白久駅まで、あと240メートルのところで、道の右側に「白久の串人形芝居」の説明書きがありました。

 

公民館のようなところで、芝居を行っているのでしょうか。

 

4月にやっていると秩父市のサイトにありました。「この串人形芝居の誕生は、江戸幕末から明治初期頃、白久豆早原に住む人たちが太田村(現秩父市)の人より22体の人形を買い求め、一座を組織し現在に伝わる操法を編み出し上演したものである」とのことです。中断された時期もあったそうですが、幕末から続く人形芝居です。

 

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白久豆早原の集落を過ぎ、 高橋という苗字みたいな名前の橋を渡ります。

 

その橋を渡る直前に道の左を通る秩父鉄道の線路のそばに馬頭観音の石仏がありました。ここの川は谷津川です。

 

高橋を渡るとすぐに左に曲がります。

 

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高橋を渡ったら、すぐに左に曲がり、正面に秩父鉄道の踏切が見えるので線路を越えます。

 

線路を渡ってすぐの、道の左側に道標がありました。

 

「三峰山道 秩父町方面に至ル」と書かれ、また別の面に「札所三十番約八百米 鹿の湯道約千五百米」と書かれている石柱です。

 

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その石柱のすぐ近くのブロック塀の前に馬頭観音の石像があります。

 

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左にある細い道の入口手前に馬頭観音の石像があります。この写真の後ろに秩父鉄道の踏切が見えます。

 

この細い道は一見すると、民家の中へ入るように見えますが、山道となっていて、巡礼古道なのです。

 

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左に入る細い道を歩くとすぐに左手に稲荷神社の鳥居が見えました。笠間稲荷神社と書かれていました。

 

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杉木立の間を通る道を上っていきます。林の中ですが、道はわかります。

 

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山道の上り坂が終わると、道が明るくなり草原のような開けた場所が見えてきます。

 

その手前に祠が見えました。表側をみると、「双体道祖神」が祀られている祠でした。その隣の小さな神社のようなものが、「飯玉大明神」だと思われます。

  

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この双体道祖神は、別の場所からこの場所に移設されたものだそうです。

  

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双体道祖神がある祠から広場のような場所から舗装された道へと左に出ていきます。舗装道路の手前に双体道祖神、飯玉大明神の看板です。橋場区と書かれています。

 

ここからは、白久駅からの札所三十番へ続く道になります。江戸巡礼古道ではなく、秩父鉄道の白久駅から来た人もこの道を歩きます。

 

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三十番までの道は谷津川に沿った道で遠くに山々が見え、季節によっては道沿いにロウバイの花やヤマツツジの花が咲く景色の良い道です。

 

おそらく最近、舗装され道が整備されたのではないかと思うくらいきれいな道になっています。

 

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ちなみにロウバイの花が咲く頃は、ロウバイ街道、と言えるくらい道沿いにロウバイの木が続いています。

 

舗装されたハイキングコースというイメージの道です。

 

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さて、札所三十番が近くなってくると、上下に分かれる二又の道に出ます。

 

この分岐するところに供養塔があったとのことですが、道を新しくした時にでも移動したのか、ここには見当たりませんでした(後でわかったのですが、札所三十番入口のところへ移設されていました)。

 

二又の右側の道を歩きますと、だんだん高台になってきます。左の道は谷津川館への道のようで、下のほうにみえました。 

 

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坂道を上っていくと、前のほうの正面に国の施設のような門や建物が見え、その手前に「秩父三十番入口」の石碑があるのが見えてきました。

 

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「秩父三十番」「法雲禅寺」と書かれていました。この石碑が立っている場所が山門跡だそうです。 やっと札所三十番に到着です。

 

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参道を挟んで対面に「三十番入口」の供養塔がありました。おそらく二又に分かれる道を新しくした時にここに移動されたものと思われます。

 

「奉順礼秩父三十三度供養塔」と書かれているので、かつて二又のところにあったと言われる供養塔でしょう。

 

これらの石碑の間を通って庭園が美しい札所三十番、法雲寺の境内に入っていきます。

 

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札所二十九番から札所三十番までの道のりが長いですし、ここ札所三十番から三十一番までも距離があるので、ここでいったん打ち止めにして巡礼古道から離れ、白久駅から秩父鉄道で帰る人もいるでしょう。

 

 

本来は、江戸巡礼古道では白久駅を通ることはないのですが、白久駅付近も少しだけご紹介します(江戸巡礼古道を通るとなると、白久駅までは行きも帰りも行かないことになります)。

 

白久駅の付近の上り坂には地元の人たちが勧請したような稲荷神社がありました。

 

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また白久駅のすぐ近くには、昔は巡礼宿だったのではないかと思うような古い建物もありました。 

 

以前は駅前付近も活気があった場所だったのではないかなと思いました。