札所十八番の観音堂は秩父の名匠である藤田若狭によって作られたそうです。正面の破風(はふ)が秩父夜祭で出てくる山車のひとつ(宮地のもの)に似ているそうで、藤田若狭と血縁関係にあった人がその山車を作ったから似ているのだと言われています。血縁関係なので、そばで見る機会があったからなのか。
秩父神社と札所は繋がりや関連性が多々あります。
札所十八番には脇道から入りましたが、中には国道140号を少しだけ歩いて駐車場のほうから入る人もいることでしょう。こちらの入口は、納経所が近いほうの入口になります。
参拝を済ませたら、また国道140号を渡ります。もと来た細道を戻りまして、行きにも見たカーブミラーがあるところまで行きます。
上の写真で言えば、左の道からやってきてカーブミラーがあるT字路に見える突き当りにあたったわけです。
変形の四つ角ですが、次の札所へはここを通りすぎて直進して行きます。カーブミラーの下には、江戸巡礼古道の案内板もあります。
住宅地の中を道なりに直進していきます。
先のほうに秩父鉄道の踏切が見えてきます。上の写真にもありますように「巡礼道」の札も下がっています。
またもや、人しか通れないような道に秩父鉄道の踏切があります。巡礼道のために残してくれているのでしょうか。
人家の庭先のような細道を歩いていきます。秩父鉄道の踏切を渡って振り返ってみたところです。
この細道も終わり、車通りの道に出ます。細道の出口付近から今やって来た道を再度、秩父鉄道の線路の方向に向かってみた写真です。これから歩くのは秩父往還の道になります。秩父往還の道は秩父鉄道と平行に走っています。
秩父往還に出る細道の入口近くに「札所十九番ニ通ズ」という道標が右角にあったそうなのですが、見当たらなかったです。ここに限らず、いくつか見当たらない道標などがありますね。
秩父往還に出たら、ここを右に曲がって秩父往還を歩きます。
秩父往還へ出ると、そこから道の斜め前の生け垣の茂みに、「中司ヲ経テ高篠峠」と書いてある石碑がありました。「巡礼道」の札があったから気づいたくらいで、無かったら素通りしていたような見つけにくい場所にありました。本当に見つけにくいので、秩父往還に出たらすぐに前を見ておくしかないでしょう。
秩父往還を歩くと、昔は巡礼宿だったのではないかと思うくらいの古い家並みを見ることができます。とても雰囲気がいいです。
「第一中学校」のバス停前を通り過ぎていきます。
バス停を過ぎてからしばらくすると、二又になっている道が見えてきます。そこには、「廣見寺寺標跡」の石碑がありました。枝垂れ桜の咲く頃は花がきれいな場所です。
廣見寺は江戸時代末には34もの末寺をかかえる大きな寺院で、今の秩父札所のいくつかの寺院は廣見寺の大和尚によって開かれました。
しばらくまっすぐに歩いていきますと、米屋さんの看板がみえ、その手前、道の右側に「坂東観音堂旧跡」が見えてきます。
「坂東観音堂縁起」を読むと、1714年に秩父札所は甲午歳の総開帳の年にあたり、廣見寺は坂東三十三観音をお祀りするお堂を作って支援したそうです(西国三十三観音の跡地は秩父札所結願寺の水潜寺からの帰り道にある場所にあり)。
明治の廃仏毀釈で廃寺となり三十三体の観音像は廣見寺の座禅堂に仮安置されたそうです。その後、大正時代には火災で観音像が焼けてしまったそうです。その後、廣見寺の近くある妙見堂に観音像を再建したとのこと。その妙見堂は秩父夜祭のルーツであると言われる「妙見七つ井戸」があるのですが、その7つの井戸巡りでは、立ち寄る場所になっています。
この坂東観音堂旧跡には、「勧請坂東札所観音霊場遺跡」と書いてある石碑もありました。秩父往還の右側は、この坂東観音堂旧跡がありますが、ここは四つ角になっていて、秩父往還の左側となる反対側、すなわち坂東観音堂旧跡の向かい側には坂道があります。
その坂道に降りるところ、秩父往還から見ての左側の角には「ひだり 十九番」と書かれた道しるべ石がありました。
下りてみるとわかりますが、左に大きくカーブした坂道でした。思ったよりも急坂です。
ここは、上に坂東観音堂旧跡があるからか、「ばんどう坂」と呼ばれているそうです。
「ばんどう坂」を下りきるとログハウス風の喫茶店があります。喫茶店の板の囲いを回るようにして、喫茶店のところから右に曲がって細道を通ります。ここ付近にも道標があったようなのですが、これまた見つかりません。
ブロック塀の脇を通り抜けると、少し広めの市道に出ます。
住宅地内の道から出たところの反対側、真正面には道しるべ石です。「十九番」と書いてあります。市道に出たら、右に曲がり、市道をまっすぐ歩きます。
歩いていくと市道左側に喫茶店のように見える工務店のところに、札所の大きな看板が見えました。「札所19番入口」となっていたので、そちらから入ってしまったのですが、もう少し先の「あらいや」という酒店の横にある細道から入るのが巡礼古道のようでした。埼玉県の「歴史の道報告書」には、そちらの道が書いてありました。
工務店の横の道から入ると、団地のような建物が見えて突き当りを右に曲がると目の前が札所十九番の龍石寺です。
上の写真は、六地蔵のところまで入ってから、今、来た道を写したものです。写真でも見えますが、左側に六地蔵があり、右側に入口の石垣が少しだけ見えます。そこの角にも道しるべ石がありました。
上の写真がその入口の石垣の角にあった道しるべ石です。「みぎ 廿番」と書かれています。
道しるべ石から境内に入り、観音堂と納経所の間を通り過ぎ、境内の奥の竹やぶと土佐水木の花のところまで行くとこちらに寺標がありました。札所十九番である「飛渕山 龍石寺」と書いてあります。