秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所二十六番納経所の円融寺から札所二十六番の岩井堂を通って二十七番まで

札所二十六番岩井堂から札所二十七番はその多くが琴平ハイキングコースと重なります。

 

岩井堂までは昭和電工の敷地を通る、いつもとは違う道を味わうことになります。敷地内を通らせていただくわけです。

 

さて、円融寺の納経所の裏手には牡丹の花が植えてある庭があって、その庭のほうから山に沿って、岩井堂や札所二十七番へ行くことができる細い道があります。

 

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裏手の庭まで行けば、円融寺から裏道に抜けることができるその細道が見えてきます。円融寺で先に納経を済ませてから岩井堂へ進みました。

 

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公園のような広場に出たら、右に曲がります。

 

まっすぐ歩くと、四つ角に出て、左にまがります。その左の角には地図も掲げてありました。

 

左に曲がってから昭和電工の駐車場の間を歩く道になります。行きに通った昔の巡礼宿だったという場所に、また戻ります。

 

その角を今度は左に曲がります。本来の江戸巡礼古道は、円融寺ではなく山の中の三百段の階段の途中にあったので、左に曲がったらそのまままっすぐ岩井堂へと向って行きます。しかし、他の道しるべ石を見るために、すこし遠回りしてから昭和電工の敷地へと向かいました。

 

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昔の巡礼宿があったというところから、一つ目の角を右に曲がって行きます。突き当たりの左側に「左 二十七番道」と書いてある道しるべ石があるので、ここを左に曲がります。その道をまっすぐ行くと、昭和電工の敷地が見えてきます。

 

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昭和電工の敷地に当たる場所の手前に用水路があり、そこはT字路になっていて正面に「右 二十七番」と書かれた道しるべ石がありました。

 

右に行ったら札所二十七番ですが、札所二十七番へ行く前に、本来の札所二十六番、岩井堂に行かなければなりませんので、ここでは右の二十七番ではなく、左に曲がります。 

 

昭和電工の敷地へと入っていきます。昭和電工秩父工場の正門入口の受付で守衛さんに岩井堂へ行くことを告げて工場敷地内へ入ります。決められた場所を歩くように言われますので、そのとおりに歩きます。なお、工場の中の道は写真撮影禁止です。

 

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昭和電工の工場敷地の道を通りぬけると、正面にまず見えてくるのが琴平神社の鳥居です。

 

隣に「村社琴平大神社」の社碑が見えます。ここからは昭和電工から琴平神社の敷地になります。琴平神社の鳥居を入ると、長く続く高い石段が見えてきます。

 

なお、岩井堂へは有名な三百段以上ある石段を上っていくルートのほかに、この琴平神社の裏手から山道を登るルートがあります。そちらは巡礼古道ではないのですが、琴平神社と岩井堂は関係がありそうなので、琴平神社の裏手の道も書いておきましょう。

 

まずは、江戸巡礼古道である石段のルートからご紹介します。

 

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鳥居に向かって右側にあるのが江戸巡礼古道です。琴平神社には行かない道です。

 

石灯籠のすぐ後ろに隠れたように道しるべ石がありました。片方が心求・はまの「道しるべ石」で「みぎ 二十六番道」と書かれています。

 

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心求・はまの道しるべ石のすぐそば、向かって右隣には、「岩井堂入口」の石もありました。

 

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琴平神社に向かって右側の道を入っていきます。二宮尊徳像が見えてきて、聖徳太子と二宮尊徳を祭神として祀る聖徳宮を通り過ぎていきます。

 

最初はなだらかな山道なのですが、じきに長い石段が見えてきます。

 

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鬱蒼とした林の中にある三百段以上の石段が見えてきます。

 

 

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字が読めないのですが、供養塔のような石碑がいくつかありました。周りは苔むした雰囲気のよい石段なのですが、とにかく長いです。 

 

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石段となってから百段のあたりが昔の納経所があった場所だと、埼玉県の歴史の道報告書には書いてあったのですが、別のガイドブックには、もう少し上に書かれていて階段の途中にある平場のどれが昔の納経所跡なのかが、よくわかりませんでした。

 

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途中にはお地蔵様が並ぶところもあったのですが、ここが納経所だった場所なのか? 

 

 

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 石段の途中で振り返ってみた様子です。下の方にお地蔵様の赤い帽子が見えます。

 

石段はこのように手すりはついています。上りは辛いですが、下りのほうが滑りやすく感じました。私は階段を上ってみたことも下ってみたこともあります。

 

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 石灯籠がある場所が納経所跡だったのかとも思ったのですが、それだと石段になってから百段目くらいの場所というよりは、二百段くらいの場所になるかと思いました。

一体どこが納経所跡なのか。

 

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考えているうちに、札所二十七番へ向かう道との合流地点に着きました。ここは平場になっています。

 

ここは岩井堂の裏手からやってきた人も通る琴平ハイキングコースの一部になります。いわばハイキングコースと巡礼道との合流地点です。

 

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岩井堂のお堂へ登る石段の手前には、「百万遍」の石碑です。 この写真で右手に少しだけ見えるのが岩井堂のお堂です。

 

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石灯籠の後ろに見えるのが山の中にある岩井堂です。

 

今は円融寺の奥の院としても知られています。石段から見て左側の奥の崖に懸崖造りとなっている観音堂です。舞台造りの観音堂は札所の中でも珍しいものです。

 

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岩井堂の裏手には閻魔大王像やお地蔵様があります。岩井堂のすぐ裏手に崖が迫っていて、そこからさらに険しい石段が続いています。

 

そちらまで登っていくと途中に修験堂や大仏座像があります。

 

私も何回か行ったことがありますが岩井堂までの石段以上に裏手の道は急勾配です。修験堂や大仏座像を通る道は琴平ハイキングコースの一部となっています。

 

さて、もう一方のルートである琴平神社を通って裏手から岩井堂へと続く道についてです。

 

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 琴平神社の本殿に続く道のほうも石段続きます。かなり急な坂道の石段です。

 

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琴平神社というと、目を引くのは奉納相撲の土俵です。階段を上ったらすぐ正面にあります。 

 

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拝殿に向かって左には、御神木もみえます。かなり高い木でした。

 

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拝殿の奥にも境内社がいくつかありました。

 

琴平神社を通るコースは、基本、神社の裏手へ、神社の裏手へと進む道となります。

 

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琴平神社の本殿奥に行くと、石段が見えてきます。そちらを上っていきます。琴平神社の本殿も美しく見ておきたい場所になります。 

  

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 稲荷神社の狐を見ながら、裏手を上っていきます。

 

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記念事業の石碑などあります。この山道を上っていきます。

 

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祖霊社が見えてきます。

 

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祖霊社に向かって左に、さらに奥に続く道が見えてきます。

 

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そちらの道には「注意」の札が2つほど見えました。注意の札が置いてある場所は、滑りやすいので気をつけながら登ります。

 

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正面に琴平神社の奥宮が見えてきたので、参拝してみたら、その 裏手に山道が続いていました。

 

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神社をみたら参拝して、その裏手に行く、奥宮もみえたら、参拝してその裏手に、というのが琴平神社から岩井堂への道です。

 

 

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裏手に出ると、琴平ハイキングコースに合流していて案内の矢印がいくつかありますので、その矢印の方向へ進みます。

 

もちろん札所二十六番岩井堂の方向へ、です。反対に行くと、羊山公園に行ってしまいます。 

 

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岩井堂が近いことを感じるのは、石仏があるからでしょう。岩井堂の周りを回るように山道が続きます。

 

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岩井堂が見えてきました。岩井堂に向かって左方向からの到着となりました。

 

琴平神社から上ってくるのは道がわかりやすかったのですが、この岩井堂から琴平神社へと下る場合は分岐点がわかりにくいかもしれません。反対側からですと見える景色も違います。

 

岩井堂の観音堂まで続く階段の下まで戻り、札所二十七番の道へと進みます。

 

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岩井堂近くには平場があって(先程、合流地点と書いた場所)、そこが札所二十七番へ向かう道と、岩井堂の観音堂への道の分岐点になっています。

 

ここには岩井堂付近案内図と書かれた概略図もあります。

 

三本の道が描かれていますが、一番左の道が琴平神社から上ってくるルート、真ん中が江戸巡礼古道となる約三百段の石段のルートです。この図でいうと、一番右に描かれているのが札所二十七番への道となります。

 

札所二十七番への江戸巡礼古道は、約三百段の石段を降りるのではなく、尾根道を歩いて行きます。

 

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札所二十七番への道を歩きだすと、すぐにみえてくるのが、鉄板の橋です。

 

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その橋を渡ろうとして振り返ると、小さな祠がありました。この付近は以前は修験道の修行の場所だったのでその名残でしょうか。

 

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札所二十七番の大渕寺までは現在、琴平ハイキングコースとなっているように起伏のあるハイキングコースです。

 

岩井堂からは2キロメートル近くあるので、まだ到着しないなぁと何度も思いながら歩きました。

 

札所二十七番までの道には護国観音が立っている場所があります。鎖が見えましたが、近道ルートではなく、少し遠まわりをして脇道から戻るようにして護国観音の前まで行くことにしました。

 

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小さな石仏なども見えてきて、遠回りでも石仏が見えるこちらのルートを使ってよかったなと思いました。すると大きな護国観音の姿が少しだけ木々に間から見えてきました。

 

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鎖場を通らないので岩場を回り込むようにして歩き、護国大観音像の矢印方向へ上っていきます。

 

なお、矢印の反対方向が札所二十七番への道になります。護国観音像の前に立ち寄った後には、この地点まで戻ることになります(護国観音のところに立ち寄らない人は、このまままっすぐ古道を歩きます)。

 

 

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昭和十年建立といわれる護国観音です。

 

高崎観音、大船観音と並ぶ関東三大観音の一つとも言われています。これら三つの観音様以外の大観音は歴史が浅いからなのだそうです。

 

ここは岩場の道ですが、護国観音像の真ん前に来ることができます。観音様の足元にも観音像らしき図(石版)が見えています。護国観音様が見ているのと同じ方向を眺めることができます。

 

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護国観音の場所は天気の良い日に行って、しばし遠くの山々をみておくといいですよ。

 

私も何度か行きましたが、護国観音像の前でお昼ごはんにして、山々を眺めながら食事しているハイカーの人をよく見ました。

 

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護国観音像を見たら、また元の道に戻ってしばらく歩いていくと「札所27番」と書いた看板が見えてきます。矢印の方向に進みます。

 

琴平ハイキングコースのほうの道案内は左右の矢印が書かれていますが、札所二十七番方面から来た人と札所二十六番から来た人と両者いるためでしょう。

 

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秩父札所はいろんなところで、岩肌を見る機会があります。札所二十七番の手前にもこのように立派な岩肌が見える場所があります。

 

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赤い帽子のお地蔵様が見えてくると二十七番大渕寺、特に観音堂はすぐ下に見えてきます。 

 

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お不動様や石仏も見えてくると札所二十七番が近いことがわかります。 

 

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観音堂の上のほうには、お不動様の小さな祠もあります。

 

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ここは、もうすでに札所二十七番の大渕寺の境内と言ってもいい場所になっています。山の斜面には梵字が書かれた石碑も見えてきました。ちなみに山の斜面には春になるとカタクリの花が咲きます。 

 

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札所二十七番、大渕寺の観音堂が見えてきました。以前は月影堂と呼ばれていた観音堂ですが、火災で当時の月影堂は残っていません。江戸時代にはもっと山の上のほうにあったようです。だからこそ、月影堂と呼ばれていたのでしょう。

 

江戸巡礼古道を通って来た人は、順番とおりに観音堂に立ち寄ってから納経所に行くようになっています。