秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所八番から九番へ

再度札所八番にあるコミネカエデの枝ぶりです。八番からのスタートです。

 

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山門を出て今度はお寺の本堂を背にして右に曲がり、お寺の敷地をぐるっと一回りすることになります。

 

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山門を出てすぐ右の駐車場にある道しるべ石です。電柱の下に置かれていました。

 

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「右 九番道」と書かれていました。

 

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右側をぐるっと回るとトイレがありまして、その横の細道をお墓のほうに向かって歩いて行きます。

 

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山門から来た道を振り返るとこのように見える道です。実際に行ってみると、確かに道らしきものがあります。

 

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畑の中の一本道のようなところを下っていきます。先のほうに石があるのが見えました。

 

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この石のところで曲がるのか、それともこのまま下に降りるのかわからないまま畑の中の一本道を通って下の道に行きました。

 

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「埼玉県の歴史の道報告書」には、畑を抜けた先にそばを流れる生川の川端の民家の庭先へ下りて行く道があるとのことですが、その道が見当たらないので、とにかく畑の一本道から畑下の道まで来ました。その後は舗装道路に沿って元来た道のほうへ戻りました。

 

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生川のほうまで降りる道が江戸巡礼古道だったのだが、その途中から昔の古道がなくなっているとのことなのです。

 

「歴史の道報告書」では途中までは、川のほうへ行ける道があった、とのことでしたが、それすらも道がわからないままでした。途中に神社のようなお社がありましたが、その周りも川まで降りる道はわからないままでした。

 

このまま舗装道路を歩きました。このお社の先にあるT字路のところ、札所八番西善寺の坂道から下りてくる分岐点にカワセミが上に乗っている道案内板がありました。この上の写真でもお社の先に見えるくらいの近さです。

 

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ここには「札所への道 右 八ばん上る 左 六七九ばん」の道しるべ石がありました。「正面 武甲山 」とも書かれていました。

 

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本来なら八番から九番への道は、生川の方まで下りて、その後は川沿いを歩くので、行きにも通ったこの分岐点までは戻りません。しかし、川まで降りる道がわからないので行きにも通ったこの道しるべ石のところまで、いったん戻りました。

 

川沿いの道の途中には「右 九ばんみち」の道しるべ石があるそうです。

 

上の写真は先程と同じ場所、行きの時にも見た分岐点の道案内板や「札所への道 左 九ばん下る」、「みぎ 六ばん七ばん」の道しるべ石です。再度、別の角度から撮ったものです。

 

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生川へ下る道はわからないままでしたが、「右 九ばんみち」の道しるべ石を探してみました。途中の橋を渡り、左に曲がってみました。

 

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道の突き当りが民家になっていて、その庭先に道しるべ石らしき石があったのですが、民家の庭には入れないので、道のところから眺めるだけにして引き返しました。

 

生川への降りる道が結局、わからないままでした。

また道沿いに戻って、舗装道路に沿って川久保橋のほうへ下りて行きました。川久保橋までの道は護岸工事でほとんどなくなってしまったようです。

 

川久保橋の近くにも以前あったとされる石の建造物も見当たりませんでした。川久保橋で生川を渡ります。


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生川を渡ったあとですが、途中、民家のほうへ入る道などもあるので間違えやすいかもしれませんが、道なりに歩いていきます。上に西武秩父線の線路が走っているのを前方に見ながら、歩いて行きます。西武秩父線の線路の近くまで来ると、正面にカワセミが上についた道案内板がありまして、そこを左に曲がります。道の左手に道しるべ石がありました。上の写真はその「みき 九番 ひたり八番」の道しるべ石です。「みぎ、ひだり」ではなく濁点がないとのこと。

 

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今はこちらに道しるべ石もありますが、石垣のところを登っていく道が本来の古道だったようです。ということで、道を少し戻ってみました。道しるべ石まで行く途中に石垣がありました。こちらが本来の巡礼古道ではないかと思いました。

 

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地元の人しか通らないような道です。石垣の途中の石段を登っていきました。

 

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石段を登った時は、道があるのかわからなかったのですが、周りは石垣になっていて、古道の雰囲気は残っていました。登った先を右に行くと、道路に出ました。

 

 

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トラックもよく通る大きめの道に出ました。道を渡った先に道しるべ石が見えました。


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今は、石垣を上る道ではなく、先ほどの道しるべ石がある舗装された道を歩くようになっています。そちらの道からもこの大きめの道路に当たりますが、そこには道の左側にはカワセミが上についた道案内板、右側には道しるべ石です。「札所へのみち 右 八番下る」と書かれていました。

 

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正面の大きめの道路を左斜めに横断します。先ほどの古道と思われた石垣からの道では真正面に細い道があります。細い道ですが、その入口にもカワセミが上についた道案内板があるので、すぐわかります。その隣の電信柱の脇にも道しるべ石です。「巡礼道」の札も上にあるのですぐにわかります。

 


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私が通った時は、なぜか石はヘルメットをかぶっていました。「ふだしょへのみち 右 九」となっていました。

 

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再度別の時に通った時は、ヘルメットはなくなっていました。その代わり、草が生えてしまって「ふだしょの道」が見えるくらいです。ヘルメットがなくなっていたので、この道しるべ石がけっこう尖ってる石ということは、わかりました。

 

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ここの細道の先は、畑道(徒歩道)になっていて、車は通ることができません。畑道を途中で左にカーブしてから、上にほうへ上がれる歩道があります。

 

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私も以前、小鳥橋の横の延命地蔵のほうから歩いて来たことがあって、上の道から見ると、下に下りていって札所八番へ行けるのかなと思いながら、畑道を下って行ったことがあります。ここは人しか通れない道です。ここを登ってまた、大きめの道に出ます。

 


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上にある比較的大きな道に上がると、道の斜め左側に「みぎ九番」と書かれた道しるべ石がありました。その上に、わかりやすく矢印型の「札所九番」の案内板があるので、それが目印になります。


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西武秩父線の線路のほうへ戻るようにして歩いて行きます。道しるべ石のところからも見えますが、小鳥橋とその隣の延命地蔵尊です。

 

小鳥橋から札所九番までの道は、三菱マテリアルのセラミック工場敷地内になってしまっていて巡礼古道は不明なのだそうです。小鳥橋は渡らずに、西武秩父線の線路に沿って左にカーブして曲がり、その後はまっすぐ歩いて行きます。

 

舗装されたきれいな道なのですが、巡礼古道がわからない状態なので、かなりの距離を線路に沿ってまっすぐ歩き、西武秩父線の下をくぐって道なりに歩いていきます。

 

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西武秩父線の下をくぐってからは、道なりに歩くと、三叉になったところに出ます。三叉と言っても、ひとつは三菱マテリアルの工場内行く工場内の道なので、通ることはできません。三叉の真ん中にあたる道、上の写真では左側の道を歩きます。

 

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この分岐点にも道しるべ石です。「みぎ 九番」と書かれています。施主と願主が別になって書かれていました。この隣には、道案内番もありますし、工場内へ続く道(途中通行止めになっている)ではなく、巡礼古道の道は現地ではすぐにわかるかと思います。

ここから先の道は、塀や壁に囲まれたような道です。崖下の道と言うのでしょうか。

 

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両脇が壁のようになっているところを通り抜けた場所が春には花がきれいだったので写真を撮りました。

 

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その先は、T字路のような三叉の道に当たります。その正面には、2基の道しるべ石がありました。同じ場所に「みぎ 九番」と「みぎ 九番道」の2つが仲良く並んでいます。

 

ここを右に入っていきます。道なりに右にカーブした道を歩いていくと、札所九番の明智寺に到着します。

 

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明智寺は境内は広くありません。敷地としては狭いほうといえるでしょう。しかし、境内には、子育て観世音菩薩や板碑があったり、文塚があったり、先祖供養の石や道しるべ石もあります。馬頭観世音と書かれた石碑や、供養碑のようなものもあります。

 

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上の写真は、観音堂に向かって右にある板碑です。

 

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板碑の隣にはお地蔵様が立っていて、その裏には、「みぎ 十番」の道しるべ石や巳待塔がありました。

  

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文塚の石が置かれている祠には、如意輪観音やお地蔵様、観音様が描かれた石なども並んでいます。手前には絵馬もかけてありました。

 

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文塚のある建物に気を取られがちですが、文塚の石には「ひだり十番」と書かれています。向かって左側に見えます。文塚は道しるべ石を兼ねていたのでしょうか。

 

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境内には、先祖供養と書かれた石碑もありました。

 

札所九番は境内にも道しるべ石が置かれていることに注意が必要です。