秩父札所の巡礼道を徒歩で道しるべ石や石仏とともに江戸巡礼古道

秩父三十四観音霊場を江戸時代に流行した時のように歩きで周り道の巡礼石を紹介

このサイトは秩父札所と札所の間にある巡礼道に関することを書いています。

巡礼道の石碑などについてだけですので、札所、すなわち寺院については別サイトを参照ください。

札所についてはこちら>>秩父三十四観音霊場、秩父札所の記事一覧

札所十三番から十四番へ

札所十三番以降は、しばらくはあっという間に次の札所に到着します。

 

ちなみに、ガイドブックによると、歩きで札所十三番から十四番までは、約10分、十四番から十五番までは約15分、十五番から十六番までは約15分、十六番から十七番までは約20分、十七番から十八番までは約15分となっていました。

 

ここで札所めぐりの数を稼ぎたいものです(後半で時間切れや日程が足りないということのないように)。

 

 

f:id:rumimarusr:20210625025418j:image

 

江戸時代のガイドブックである『秩父順礼独案内記』に札所十三番のところで、十三体の彩像あり、と書いてあります。

 

十三体の像とは十三権者像のことかと思いますが、それはこの一切経蔵の中にあります。十三権者とは秩父札所を定めた創設者のことです。善光寺如来、熊野権現、妙見大菩薩、花山法皇など仏様もいれば実在する人物も混ざっていて、定めた人たちとはいえ、ほぼ伝説の話です。

 

ここの中には、十三権者の像だけでなく、六角輪蔵もあり、お経が収められています。

 

慈眼寺境内

 

写真がなぜか小さくなってしまっていますが、桜のころの札所十三番慈眼寺です。 かなり大きな桜の木なので、秩父鉄道の御花畑駅からも見えます。

 

慈眼寺観音堂

 

さて、お詣りを済ませて山門からでますと、目の前の通りが聖人横丁と呼ばれています。

 

f:id:rumimarusr:20210608131341j:image

 

山門を出て左に行き、角のところに「秩父十三番補陀所」と書いてある寺標と、「教化史跡 聖人横丁」と書かれた石柱があります。上が欠けた千部供養塔や石仏、その隣には、お地蔵様が安置されている地蔵堂があります。

 

聖人横丁の「聖人」とは、秩父聖人と呼ばれた井上如常のことで、札所十三番に墓があります。また札所三十三番の菊水寺にも井上如常の教えが書かれた大絵馬があります。絵馬については三十三番の時に再度。

 

ここを左に曲がって秩父鉄道の線路と並行して歩きます。

 

f:id:rumimarusr:20210608131724j:image

 

途中、右手にゆるやかな坂が見えます。これが「団子坂」と呼ばれる場所で、秩父夜祭の時に、ここを屋台が通ります。この上の写真はその秩父夜祭の日の昼間に撮ったもので、旗がいくつか立てられています。

 

f:id:rumimarusr:20210908110142j:image

 

別の日に撮った団子坂です。急な短い坂であることがわかるかと思います。山車が登るには大変そうです。

 

f:id:rumimarusr:20210608131338j:image

 

団子坂を右に見ながら、さらにまっすぐ歩いていくと、左手にタバコ屋さんがあって、その店の前に「巡礼道」と書かれた道しるべ石がありました。「十三番入口 右 十四番」と書いてありました。ここを左に曲がります。

 

f:id:rumimarusr:20210624230403j:image

 

 左に曲がった通りは、東町通りと呼ばれます。商店街なのですが、道幅は細いです。この通りの途中に惣圓寺があります。秩父七福神のひとつで、弁財天をお祀りします。

 

f:id:rumimarusr:20210624230418j:image

 

惣圓寺の敷地は、東町通りの両側にありました。東町通りは、このお寺にちなんで、「新寺通り」とも呼ばれるそうです。札所に比べたら「新寺」なのでしょうか。

 

f:id:rumimarusr:20210624233146j:image

 

東町通りをさらに進むと、県道73号にあたります。県道を渡るのですが、その前の左手には古い建物のタバコ屋さんがあり、以前は巡礼宿を営んでいたそうです。いわれてみれば、なんとなく宿っぽい感じもします。

 

この写真は、県道を渡った後の東京電力の営業所の方から撮ったものです。

 

f:id:rumimarusr:20210624233133j:image

 

東京電力の脇の道をまっすぐに歩くと、左手に今宮神社が見えてきます。以前の社殿は、和銅黒谷駅近くにある聖神社に移築されたそうです。聖神社はそこで祈願すると、宝くじが当たる神社としてテレビでも取り上げられたのだとかで多くの人が参拝に行くそうです。和銅黒谷駅を降りて歩いて行けます。

現在は今宮神社の社殿は新築のもので、とてもきれいです。

 

f:id:rumimarusr:20210624233142j:image

 

ここは少し前は、公園になっていたそうです。少しずつ建物も増えているようで、私が以前行った時はなかった天神様のお社が新しく立っていました。

 

これは「駒つなぎの欅」として知られる大木です。樹齢500年以上と言われています。武運長久を祈願した武士が馬を止めて置いたと伝わる欅です。

 

f:id:rumimarusr:20210624233129j:image

 

修験道の開祖と呼ばれる役行者、役小角のお堂もありました。ここに八大龍王神を祀る八大宮を作ったそうです。

 

昔は、神仏混交ですから、お寺と神社は一緒で札所十四番の今宮坊も一緒にあったのではないかと思われます。明治時代の神仏分離令で分かれたのでしょう。ここと札所十四番をあわせたくらいの敷地だったのでしょうね。

 

この今宮神社の前をさらにまっすぐ歩いていくと、左手に大きな欅の木と目の前に「札所十四番」と書かれた幕が道路の上に掲げられているのが見えてきます。

 

f:id:rumimarusr:20210624233126j:image

上に「札所十四番」と書かれた横断幕のところの四つ角を右に入ると札所十四番、今宮坊の入口になります。

 

門前には「秩父札所十四番観世音」の石柱が立ちます。古くは、「長岳山正覚院金剛寺」という修験道の直末寺だったそうです。秩父札所には修験道の道場だったお寺がいくつかあります。ここもそのひとつです。

 

金剛寺時代は、東西100メートルの地域が金剛寺の敷地だったそうです。今宮坊は八大権現社と今宮観音の別当で、その後、神仏分離令と修験道禁止令によって観音堂は切り離されたとのこと。

 

 

f:id:rumimarusr:20210624233136j:image

 

こちらが今宮坊で有名な樹齢500年の欅です。

 

 

f:id:rumimarusr:20210624230352j:image

 

観音堂の左手には四阿地蔵尊です。お地蔵様のところまで行くと、右手に勢至菩薩堂があるのがわかります。

 

f:id:rumimarusr:20210624230344j:image

 

勢至菩薩堂の隣には、十六日念仏供養塔がありました。その奥にも二十二夜塔や庚申塔などがありました。境内は、ちょうどロウバイの季節だったようです。きれいな黄色です。

 

f:id:rumimarusr:20210624230337j:image

 

ピンクや白の花はユキヤナギでしょうか。そのそばには、聖徳太子像もありました。

 

サクサクと進めていきます。次は、札所十五番です。

 

札所十二番から十三番へ

札所十二番から十三番へは、変則的な四つ角(巳待塔が見える場所)のところまで、もと来た道を戻ります。

 

ここから札所二十番くらいまでは、秩父市内の人通りの多い場所となり、すぐに次の札所へ到着するので、サクサクと進めていきたいところです。

 

それに対して札所の後半、二十九番あたりからは札所と札所の間の距離がかなり長くなります。徒歩の場合は峠を超える必要がある札所もあります。特に、札所三十番から三十一番はかなり長い距離になります(地形の変化がありすぎて時間を忘れますが遠いです)。

 

f:id:rumimarusr:20210624003339j:image

 

変則的な四つ角を十二番から戻ってくる途中で遠くから見ると、お地蔵様や巳待塔のところは、二又路のように見えます。

 

札所十二番の野坂寺に行く時もその四つ角に「右 十三番道」と書いてある道しるべ石があることを書きましたが、その道しるべ石のところを左に曲がっていきます。石の真正面から見ると、右に歩いていくことになります。

 

f:id:rumimarusr:20210624003315j:image

 

ここを直進していくと、野坂町公会堂という住民の方々が集まる集会所のようなところがあります。一見すると民家風ですが秩父市の掲示板があります。その集会所の前にある駐車場が札所十二番の観音堂旧地になるそうです。

 

しかし、その駐車場の場所がよくわからなかったです。すぐ前に立つ民家が新しかったので、駐車場はなくなって新しい家が立ったのか。それとも集会所の前のスペースを駐車場と言っているのか。

 


f:id:rumimarusr:20210624003351j:image

 

この住宅地の中の道をさらにまっすぐ歩いていくと、国道140号に出ます。その出たところが確かに五叉路になっています。先程、野坂寺の駐車場にあるお地蔵様のところで、五叉路があることを書きましたが、この五叉路が「五方の辻」です。お地蔵様は、この五方の辻の脇にあったのです。五方に伸びる道ですから、東西南北を知ることができて旅人にも重宝がられたことでしょう。

 

国道を向こう側に渡り、上の写真でも一番細い道にみえる斜め右に入る道が江戸巡礼古道となります。簡単にいえば、西武秩父駅に向かっていく道です。しかし、巡礼古道は現在の西武秩父駅を通過して、横切る形になります。

 

そのため駅付近は「巡礼古道が不明」となっています。今の西武秩父駅は、札所十三番方面側へのおり口はなく、すべて西武バスの発着地側からしか出られません(駅の出口はひとつ)。そこでいったん、西武秩父駅から秩父鉄道の御花畑駅への連絡通路を通って、秩父鉄道の線路の向こう側に渡りました。

 

f:id:rumimarusr:20210624212425j:image

 

巡礼古道は、五方の辻から右斜めに入る細い道を通り、この線路を横切って、 駅の西側というか裏手に出たわけです。どのあたりを通っていったのでしょう。江戸巡礼古道は、もちろん線路もない時代でしたからね。

 

f:id:rumimarusr:20211011012653j:image

 

西武秩父駅を突き抜けて行ったので、この駅のプラットフォーム付近に道があったはずです。


f:id:rumimarusr:20211011012636j:image

 

駅から線路の向こう側に行って西武秩父駅方面を見ます。おそらく眼の前のこの道につながったのではないかと思います。

 

f:id:rumimarusr:20211011012641j:image

 

ということで、このあたりが江戸巡礼古道だった道として歩きます。この道を通ると現在の札所十三番の裏手に出ることになります。裏手から行くと墓地などがあります。

 

f:id:rumimarusr:20211011012607j:image

 

話は戻って、駅を横切って歩いたことにして、さらにまっすぐ行くと札所十三番があるメイン通りではなく、裏手の道に出ます。

 

f:id:rumimarusr:20210608131345j:image

 

すると、家と家の間に隙間のような挟まれた場所に、「秩父札所十三番入口」の石柱が立っています。この石柱は、明治三十七年の銘があります。

 

この細い路地を入っていきます。この写真でも先のほうに見えますが、真っ直ぐ前が札所十三番の慈眼寺の山門が見えてきます。

この路地の途中には「南無阿弥陀佛」と書かれた標柱があったそうですが、私が行った時はどこにあるのか不明でした。

 

秩父十三番慈眼寺

 

路地を通って、高砂ホルモンのお店の脇を出たら、すぐ目の前が札所十三番の慈眼寺の山門になります。前の通りは、聖人横町、聖人通りとも言われています。この大通りを渡って札所十三番慈眼寺に行きます。

 

札所十一番から十二番へ(江戸巡礼古道は徒歩道より少し遠回り)

札所十一番からは、また寺標のところから国道299号へ戻り、目の前にある交差点を渡ることになります。

 

渡った先には、コンビニがあるのですが、その向こう側に「千茶古」という喫茶店が見えます。看板があるので、すぐわかりますが、その千茶古の裏側へ入る細い道があるので、そちらの方向へ向かいます。

 

f:id:rumimarusr:20210621220315j:image

細い道を通り抜けると、上の写真のように目の前に「江戸巡礼古道」の札が見えます。

この「12番寺」を指す方向に歩いていきます。

 

札所十一番からの道は、上の写真の奥に写っている案内板のように、現在は秩父成田不動尊のすぐ脇を通る細い徒歩道を指しているようです。しかし、江戸巡礼古道はもう少し坂の下まで下がることになります。  


f:id:rumimarusr:20210621220236j:image

さらに坂を下っていくと「吉田歯科医院」が見えてきます。ここの四つ角を左に曲がります。

曲がり角には、心求・はまの道しるべ石があって、「十二番みち」と書いてあります。やはり道しるべ石がある道ですね。

 

あとはひたすら住宅地の中をまっすぐ進んでいきます。途中古くからあるような門構えも立派な家があって、昔は巡礼宿でもやっていたのではないかと思うくらいでした。

 

 

f:id:rumimarusr:20210624003334j:image

ひたすら700m程度歩きますと、左手からの道と合流する場所にお地蔵様、巳待塔、野坂堀改修記念碑、供養塔など石碑が並ぶ一画があります。

 

十二番のほうから来たら、二又に見える真ん中の場所です。巳待塔の下の台座には、「右 十二番 中 十三番 左 十一番」と書かれています。ちょうどロウソク台が前をさえぎって見えにくいのですが、向かって右側から「右十二番」と縦書きで書かれています。

 

左からの道は、先程の秩父成田不動尊から入る細い道、現在の徒歩巡礼道から来る道です。

 

私はこの江戸巡礼古道だけでなく、両方とも歩いたことがありますが、車も入れないような細いところもありました。

 

ここは変則的な四つ角で、札所十二番から戻ってくる時もここを通りますが、戻ってくるときは、このお地蔵様や巳待塔のところは、二又に道が分かれているように見える四つ角となっています。

 

f:id:rumimarusr:20210624003402j:image

 

この合流地点はさらに、右手に行く道もあって、そちらの角の下には、「右 十三番道」と書いてある道しるべ石がありました。

 

ここからもさらに直進です。吉田歯科医院のところを曲がってからはただただん道にそって歩きます。1キロm程度はまっすぐ歩くと思います。

 

f:id:rumimarusr:20210624003331j:image

 

途中には、民家の前に双体道祖神も見えました。この写真でもわかりますが、ゆるくカーブがありますが、ひたすら道なりにまっすぐ歩いて行きます。この先には上を西武秩父線が走るところもあります。

 

f:id:rumimarusr:20210624003358j:image

 

西武秩父線の下をくぐってからもう少し歩くと、札所十二番の看板と入口が見えてきます。

入口の看板のところには、お地蔵様もあります。ここを左に曲がると、札所十二番の参道になります。道の左手には大きな秩父札所十二番野坂寺の寺標のありました。

 

 

f:id:rumimarusr:20210624003406j:image

 

入口のお地蔵様のところにも「佛道山 野坂寺」の寺標がありましたが、山門近くにも、かなり古いのではないかと思う石標があって「霊所十二番佛道山野坂寺」と書いてありました。

 

f:id:rumimarusr:20210624003323j:image

 

札所十二番野坂寺の山門に向かって左側に駐車場があります。上に玉のようなものがあって梵字が書いてある石柱のところから左に入ったところが駐車場です。

 

f:id:rumimarusr:20210624003409j:image

 

その駐車場に入ってすぐのところに、大きなお地蔵様があります。大きな石仏と言ってもいいくらいの大きさです。十二番に行ったら、このお地蔵様を見てほしいです。車で来た人ならすぐにわかるでしょうが、徒歩巡礼ですと、通り過ぎてしまいがちだからです。

 

そのお地蔵様の丸い台座には、「東西南北」が書かれています。この写真では、台座真正面にみえる「東」と、台座の右に書いてある「北」の文字が見えます。

 

このお地蔵様は以前は札所十三番へ向かう道の途中にある「五方の辻」と呼ばれる五叉路のところにあったものが、ここに移ってきたそうです。

 

f:id:rumimarusr:20210624003326j:image

 

十二番の看板がある入口を曲がってからも、けっこう長い参道でした。道の突き当りに、札所十二番野坂寺があります。札所十三番へは、もと来た道を途中まで戻ります。

 

札所十番から十一番へ(尾根道ルートと下を通るルートの2通りあり)

下の写真は、札所十番、大慈寺の境内の六地蔵とともに観音堂後方にある山の尾根付近を写したものです。大慈寺の裏山の尾根道は遊歩道になっています。

 

f:id:rumimarusr:20210616041221j:image

 

この前にも書きましたが、大慈寺の入口にある道しるべ石は「左が十一番」で、山門の前にある階段途中の道しるべ石では「右が十一番」と分かれていて、どちらが正しいのかわかりにくいです。札所十番から十一番へは、2通りの行き方があったからという理由のようです。

 

f:id:rumimarusr:20210616041250j:image

まずは、下を通るルートから始めます。

 

山門を出てから参道を歩き、寺標のある入口で右に曲がります。来た道を戻る形で、摩利支天堂の参道があった道の四つ角まで行きます。行きにみた「左 十番から五番 右九番」の道しるべ石があった四つ角です。

 

そこを右に曲がって、摩利支天堂の方へ向かいます。

 

f:id:rumimarusr:20210616041207j:image

 

摩利支天堂がよくわからなかったのですが、この奥にあるようです。ここの角を道なりに左に曲がります。ちなみに摩利支天像は横瀬町指定の有形文化財です。

 

この摩利支天堂前の道を曲がってからはまっすぐ歩きます。

 

f:id:rumimarusr:20210622011258j:image

 

この道は少し高台を通りますので、眺めがいいです。道の途中で、「朝日の長者屋敷跡」を通るのですが、場所がよくわかりません。図書館でみた古いガイドブックには、大雑把な場所しか書いてありませんでした。摩利支天堂からそれほど離れず、道沿いに書かれていたのです。道端に積み石があったので、ここ辺りかなと思っています。

 

f:id:rumimarusr:20210622011254j:image

 

「朝日の長者屋敷跡」はこの道沿いにあることくらいしかわかりません。長者屋敷跡があったことを知ったのは、今までも何回か紹介してきた江戸時代の案内記『秩父順礼独案内記』に書いてあったことから屋敷跡をみてみたいと思っていました。

 

f:id:rumimarusr:20210622011312j:image

 

さらにまっすぐ歩いて行くと途中で、左手から道が通っていることがわかります。反対側の札所十一番から歩くと、上の写真のように、その二又の道がわかりやすいです。反対側から来たほうが気づきやすい場所にあるのです。

 

f:id:rumimarusr:20210616041213j:image

 

そこには、「左 十番」と左の端に書かれた道しるべ石があります。逆打ちの人なら、気付くでしょうが、十番から歩いて来ると通り過ぎてしまうような場所です。さらにまっすぐ十一番のほうに歩いて行きます。

 

f:id:rumimarusr:20210622011302j:image

 

さらに歩いていくと、右手に「数術家加藤兼安の碑」が見えました。横瀬町のサイトによると、嘉永元年に建てられたものだそうです。

 

f:id:rumimarusr:20210616041224j:image

 

県道11号にいったん、合流しますが、坂氷の交差点の手前でまた、右の脇道に入ります。

 

f:id:rumimarusr:20210529014717j:image

 

脇道を歩いていくと、前方に国道299号が見えるので、国道まで歩き、そこからは道沿いに右にゆるくカーブした下り坂を歩いていくと、札所十一番の参道に到着 します。 

 

f:id:rumimarusr:20210622011308j:image

 

参道の坂道を上っていくと、札所十一番の常楽寺の観音堂に到着します。ここも見晴らしの良い高台にあります。札所十一番までの国道沿いは、左手上方の高台に羊山公園が見えます。

 

さて、次はもうひとつのルートです。

第2のルートである尾根道のコースです。

f:id:rumimarusr:20210529014753j:image

 

納経所の後方、札所十番の観音堂に向かって境内を右に行くと、「遊歩道」と書いてある尾根道のルートがわかります。

 

上の写真に見える注意書きにも書いてあるように、「近道ではありません」。尾根道を通るのでハイキングコースという雰囲気(「山道」と書いてあるくらい)です。近道ではないというくらい下の舗装された道を歩くコースに比べると、時間は倍以上かかると思います。

 

f:id:rumimarusr:20210529014745j:image

 

立て札にも書いてあるように、札所11番の常楽寺へ行くとともに、反対側に行けば、聖地公園にも行けるという「遊歩道」です。聖地公園は今まで通って来た札所三番方面に戻る形になります。

 

f:id:rumimarusr:20210529014734j:image

 

裏山の尾根道までは、つづら折りになった山道を歩いていきます。

 

f:id:rumimarusr:20210616041228j:image

 

私は、春と秋と季節を分けて遊歩道を通ったのですが、尾根道は春のほうが道端に花があるのが見えていいですね。

 

f:id:rumimarusr:20210616041329j:image

 

なぜか山道の途中では神社のような小さな祠がありました。

 

道を迷わないようにと、道案内の矢印はありました。

 

f:id:rumimarusr:20210616041304j:image

 

裏山のてっぺんに着き、尾根道に入るところには、行き先が書いてある矢印がありました。十一番の方面は、羊山公園の文字もありました。

ここを札所十一番と反対側に進むと、前にも書いたように聖地公園や札所三番方面に行くようです。私はまだ、聖地公園まで行ったことはありません。ここにも「三番」とあるように前回、祠の中の道しるべ石に「三番」と出てくるのは、裏手の山道を指していたのではないかなと思うのです。

 

f:id:rumimarusr:20210616041317j:image

 

主に春の時に通った写真を使って説明したいと思います。実は春に通ったときは、いったん、下の道で札所十一番に行き、十一番から十番へと逆打ちで尾根道を歩きました。

 

f:id:rumimarusr:20210616041336j:image

 

方向が逆になっていますが、道自体はわかるかと思います。春のときは黄色いレンギョウの花が遊歩道沿いに咲いていました。

 

 

f:id:rumimarusr:20210616041310j:image

 

途中で視界が広がる場所もあって、そこでは眺めがいいです。尾根道まで登ると、高い場所なので遠くの山も見えます。武甲山も見えます。

 

f:id:rumimarusr:20210616041231j:image

 

尾根道沿いは、十番方面から歩いてくると道の右側に鉄線が貼られています(この時は逆コースの十一番から行ったので、左側に見えますが)。

 

f:id:rumimarusr:20210616041300j:image

 

春はレンギョウの他にも道端にすみれの花も咲いていました。

 

 

f:id:rumimarusr:20210616041210j:image

 

十番方面からやってくると、このように尾根道の右側、山の西側は鉄線が貼られ、その下には秩父セメントの工場の敷地になっています。

 

f:id:rumimarusr:20210616041218j:image

 

秩父市が立てた道案内の柱です。札所十一番寺の方へ歩いて行きます。

 

f:id:rumimarusr:20210529014702j:image

 

尾根道を歩く遊歩道では札所十一番に到着する前に、上之壹稲荷神社を通ることになります。これは秋に撮った枯れ葉の多い時期のものですが、いつもの「巡礼道」の札がかかっていました。ここに見えるように細い道を通ります。

 

f:id:rumimarusr:20210529014723j:image

 

赤い稲荷神社の鳥居が見えると、上之壹稲荷神社です。社殿に向かって左側から境内に入るようになります。

 

f:id:rumimarusr:20210529014741j:image

 

上之壹稲荷神社は修理したばかりのようで、建物の色が鮮明でした。赤い鳥居が何本も立っている稲荷神社の参道を降りるような形で、札所十一番へと向かいます。

 

f:id:rumimarusr:20210529014720j:image

 

稲荷神社の特有の赤い鳥居の道を下りていきますと、今度は金比羅神社の小さな祠が見えました。

 

f:id:rumimarusr:20210616041325j:image

 

最後の赤い鳥居のところまで下りたら、すぐ目の前が札所十一番の常楽寺です。

 

f:id:rumimarusr:20210529014658j:image

 

目の前に六地蔵も見えるので、すぐ右に行きますと、観音堂に到着です。

 

f:id:rumimarusr:20210616041240j:image

 

上の写真は、十一番常楽寺の参道を下りたところです。右手に大きな石が見えますが、その裏側が今歩いてきた遊歩道です。 春に通った時なので常楽寺の参道には桜が少し残っていますが、桜の見頃の時期ですと、参道では桜の花も楽しめます。

 

以上がもうひとつの巡礼古道のルートです。

 

 

札所九番から十番へ(横瀬歴史民俗資料館前にある道しるべ石についても)

札所九番から十番への道は、札所九番前にある三菱マテリアルの工場へ出入りするトラックも行き交う道からスタートです。

 

なお、何度か書きましたが、ブログ完成後に今度はどの道を通ったのか、手書きの地図を作成する予定です。

 

f:id:rumimarusr:20210616040640j:image

 

札所九番明智寺境内のツツジの向こう側に見えるお地蔵様の後ろの道路を歩きます。

三菱マテリアルの工場を背にして、トラックが行き交う道を下りて行きます。

ここの道を下りていくと、横瀬町の町民会館や図書館、歴史民族資料館の方面に向かいます。

 

f:id:rumimarusr:20210618214606j:image

 

横瀬町の町民会館へと行く道ですが、本来の江戸巡礼古道は、途中で道路と並行してもう少し左側にあったそうです。これは坂道の途中にあった石なのですが、ここから左に少し行った目印の石だったのか?今は、舗装道路の少し左に入った古道は不明になっています。

 

f:id:rumimarusr:20210908112136j:image

 

舗装道路の道沿いにゆるく左にカーブして坂道を下りていきます。さらに坂道を下っていくと、舗装道路の途中で右側にガードレールがあります。

 

f:id:rumimarusr:20210908112141j:image

 

本来の巡礼古道は、このガードレールの間を抜けてここから直線コースで下へと下ったそうです。確かに、今もガードレールの途中で下に降りることができるようになっていました。古道を残しておいてくれたのでしょうか?

 

f:id:rumimarusr:20210908112133j:image

 

ここから国道に降りることができました。

 

f:id:rumimarusr:20210908112144j:image

 

坂道が終わる途中で、ガードレールを抜けて、横瀬町民会館前のバス停のところで、国道299号に当たります。国道299号に着いたら、左に曲がり横瀬町民会館の方へと国道沿いに歩きます。

 

f:id:rumimarusr:20210618214643j:image

 

町民会館前の交差点まで行くと交差点には、左側に「秩父観世音霊場第九番 明星山明智寺」の寺標がありました。この交差点は、変則的な四つ角になっていて、この寺標のところは、二又の道になり、その左には、明智寺方面から下りてくる道があります。

 

なお、国道299号を少し歩くと、町民会館に向かって左側にJAちちぶ横瀬店と町民会館との間の道があってそちらに入ると、横瀬町歴史民俗資料館があります。

 

ここで巡礼古道から外れますが、横瀬町歴史民俗資料館の玄関先にある、道しるべ石についても書いておきます。

 

f:id:rumimarusr:20210618214558j:image

 

この歴史民俗資料館まで来る道は巡礼古道ではないのですが、横瀬町歴史民俗資料館前に道しるべ石があるのです。

以前は、横瀬町図書館前にあったそうなのですが、おそらく今よりも国道299号寄りにあったのだと思われます。

 

歴史民俗資料館の玄関に向かって、表側から見ると「みき 九はん」となっています。

 

f:id:rumimarusr:20210618214709j:image

 

裏から見ると残念なことに上部の石が少し欠けていて「たり 十はん」と「ひだり 十ばん」の意味だったのでしょう。この道しるべ石が図書館前にあったわけです。

 

また巡礼古道に戻ります。

 

町民会館前の交差点にある「秩父観世音霊場第九番 明星山明智寺」の寺標のすぐ前まで戻りますと、二又のところで最初は国道と平行に走る左の細い道を歩きます。橋のようなものがかかっているので、そこを渡ります。

 

この道は、右にゆるくカーブしていて、結局は国道299号に合流します。

  

f:id:rumimarusr:20210618214545j:image

 

こちらの道は脇道なので国道のように車の往来が激しくなく、右には横瀬郵便局もあります。

 

左手は高台の崖になっていて、途中お墓があります。それをさらに国道299号の方へ歩いていくと、国道に当たる少し前にまたもやお墓があって、その左隣りに、大日如来の祠がありました。高い場所にありまして、小さいながらも立派な建物です。

 

また国道299号に戻ってくるので国道を歩きます。少し歩くと横瀬小学校が右に見えてきます。

 

f:id:rumimarusr:20210618214627j:image

 

その横瀬小学校の敷地内に、薬師堂がありました。なぜ小学校の敷地内に薬師堂があるのかな?と以前通った時から思っていました。

 

敷地から分けるわけでもなく、小学校と一体化してます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040027j:image

 

さらに国道299号を歩いていきますと、横瀬小学校の敷地が終わる下のほうに沢が見えてきます。国道299号にかかる橋は、兎沢橋といいまして、その下に見える橋が巡礼古道となっている申橋です。

 

f:id:rumimarusr:20210621220247j:image

 

しかし、今は、小学校から申橋を渡るルートは道が残っていません。赤字で書かれた巡礼道の文字と、巡礼さんの絵かな?

 

f:id:rumimarusr:20210616040049j:image

 

そこで、兎沢橋の先にある下へ降りる階段が右側に作られているので、そこを下りて行きます。下りた先に大きな石と小さい石が民家の前にあるのが見えます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040030j:image

 

これが沢にかかる申橋(さるはし)です。ここまでの道がわからないので、ここを渡ったことにして、先程の階段を下りたところまで戻りますと、道しるべ石と馬頭観世音の大きな石がありました。

 

f:id:rumimarusr:20210621220205j:image

 

まずは、「天下太平」と書かれた心求・はまの道しるべ石です。「みぎ 十番 ひだり 大宮」と書かれています。大宮は秩父市内のことです。宮=秩父神社でしょう。

 

f:id:rumimarusr:20210621220304j:image

 

その隣には大きな石です。馬頭観世音と書かれた文化十四年の石碑です。

 

f:id:rumimarusr:20210621220224j:image

 

2つの石、道しるべ石と馬頭観世音の石に向かって、右側に民家の脇を通る細い道があります。そこをまっすぐ入って、申坂と呼ばれる坂道へと歩いていきます。

 

f:id:rumimarusr:20210621220242j:image

 

申坂の途中の民家の前に、2基の石がありました。

 

f:id:rumimarusr:20210621220140j:image

 

向かって左は道しるべ石です。「ひだ里 十番」と書かれています。

もう一つは「奉納 百八十八番」と書かれた石でした。ここを曲がると、寺坂棚田の方面に向かう道につながるそうですが、巡礼古道ではないので、このまままっすぐ坂を上っていきます。

 

この先まで坂を上ると十字路になっています。

 

f:id:rumimarusr:20210621220253j:image

 

その十字路の右斜め前に道しるべ石がありました。心求・はまの道しるべ石です。

「右 志かう道 中 十番道 左 大宮」となっています。

 

f:id:rumimarusr:20210621220159j:image

 

「中 十番道」を中心に、両脇に「右 志かう道」 「左 大宮」となっています。大宮は秩父市内のことで、「志かう」は慈光寺(坂東三十三観音の札所)のことです。

 

慈光寺については、これまでも何回か石に書かれていました。場所的に近いということもあるのでしょうが、江戸から秩父札所まで行くついでに慈光寺に立ち寄ってから札所の巡礼に来る人たちもいたようです。

 

十字路を渡ってからこのまま直進して歩いていきます。しばらくすると、二又道にあたりますので、そこを右に入っていきます。

 

100メートルほど歩くと、目の前に横瀬中学校が見えてきます。その手前に敷地があって、お地蔵様が入っている赤い屋根の祠が見えてきます。

 

f:id:rumimarusr:20210621220213j:image

 

ここでは、お地蔵様が丁寧に祀られていました。子育地蔵尊です。姿子育地蔵尊と書かれて、説明の札がかけてありました。お地蔵様は三体ありまして、真ん中のが古いもののようでした。

 

f:id:rumimarusr:20210621220250j:image

 

文政十一年建立の地蔵尊のほか、祠の奥には宝暦四年の回国巡礼供養塔(西国、四国、秩父順礼か)もありました。 

 

f:id:rumimarusr:20210621220152j:image

 

祠の隣には、心求・はまの道しるべ石です。「ひだり 十番 みぎ 九番」と書かれています。

 

この祠の先、突き当りに横瀬中学校があるところで、左に曲がります。横瀬中学校の看板がある十字路もさらにまっすぐに進むと、また十字路になります。

 

f:id:rumimarusr:20210621220220j:image

 

この十字路の左に美容院のお店があるのですが、その店の脇に上が欠けた道しるべ石がありました。

「た里 九番」とだけ見えます。おそらく「ひだ里 九番」(左 九番)だったのではないかと思います。

この十字路を右に曲がります。少しだけ歩くと、すぐに左に入っていく道が見えます。

 

f:id:rumimarusr:20210621220310j:image

 

この旧道のような細い道を斜めに入っていきます。


f:id:rumimarusr:20210621220149j:image

 

細い道なのですが、振り返ってみると、武甲山が目の前によく見える道でした。この旧道を歩いていくと、大堀川に当たります。

 

大堀川から先は、一帯が整備されて古道がわかっていないそうです。おそらくなのですが、川を渡って、川沿いを歩き、400メートルほど行ったところの交差点で、左に曲がって県道11号のほうへ向かって行きます。

 

f:id:rumimarusr:20210616041247j:image

 

県道を渡ると、「摩利支尊天」の石柱が見えるので、その参道らしき道をまっすぐ歩きます。

 

 

f:id:rumimarusr:20210616041203j:image

 

参道らしき道を歩くと、石灯籠が見えるので、その四つ角を右に曲がります。

 

 

f:id:rumimarusr:20210616041244j:image

 

四つ角の目の前には、「本橋家気楽流柔術資料」と書かれた案内板がありました。横瀬町の指定有形民族文化財となっているそうです。幕末から明治にかけて盛んだった柔術とのことで、本橋家には、当時の資料が残されているそうです。

 

f:id:rumimarusr:20210616041237j:image

 

その四つ角には、ほかにも道案内板があって、その下にも道しるべ石がありました。「札所へのみち」の石です。「右 九番 左 十番から五番」と書かれていました。この四つ角を右に曲がって、まっすぐ行くと、札所十番に到着します。

 

f:id:rumimarusr:20210529014759j:image

 

札所十番の入口には、大きなお地蔵様(石造地蔵菩薩坐像)があるので、すぐにわかります

 

f:id:rumimarusr:20210616041307j:image

 

そのお地蔵様の隣下に、心求・はまの道しるべ石があって、「ひたり 十一番」と書かれています。宝永貳年となっています。

 

 お地蔵様からの参道を少し歩いて石段を上れば札所十番、大慈寺の山門があります。

 

f:id:rumimarusr:20210622011243j:image

 

この写真にも見えますが、その石段を上がる手前、左に祠があります。そこには「ひだり 三ばん」と書かれた庚申供養塔がありました。 

 

秩父札所はアニメにも登場するお寺がありまして、ここ大慈寺は、「ここさけ」すなわち、「心が叫たがっているんだ。」の舞台となっているそうです。上の写真をみたら、ファンならすぐにわかるかと。同じく秩父を舞台にした「あの花」はテレビで見たのですが、「ここさけ」は見ていないので、どんな感じで登場していたのか不明です。

 

f:id:rumimarusr:20210616041321j:image

 

さて、この祠の中の道しるべ石ですが、突然、三番です。それも「ひだり三番」です。

なぜ十番から三番?

 

札所十番の大慈寺の裏には、小高い山のような場所があって、尾根道を歩く遊歩道になっているのですが、その遊歩道が札所三番までつながっているそうなので、それと関係があるのかなと思いました。次回書きますが、十番裏手の遊歩道は歩いたのですが、十番から三番までは、まだその遊歩道を歩いたことがないので、わかりません。

 

f:id:rumimarusr:20210616041234j:image

 

札所十番の山門に上がる石段の途中にも心求・はまの道しるべ石です。

「みぎ 十一番道」と書かれています。

 

 なぜ参道入口の道しるべ石は「左」が十一番となっていて、山門に上がる階段の途中の道しるべ石は「右」が十一番なのか。それは、十番から十一番への道が、2通りあったからではないかと思われます。

 

f:id:rumimarusr:20210529014756j:image

 

なお、今回は摩利支天堂の参道のようなところから入る道を紹介しましたが、大堀川から先は巡礼古道がわかっていないそうなので、上の写真にあるように札所十番のすぐ前につながる道(農道のような道)も使われていた可能性がないとも言えません。

 

札所十番の前は田んぼになり、裏には小高い山(森のように見えるところ)がひかえていることからもわかるように、観音堂からは前が開けていて眺めがいいです。

 

 

札所八番から九番へ

再度札所八番にあるコミネカエデの枝ぶりです。八番からのスタートです。

 

f:id:rumimarusr:20210616040713j:image

 

山門を出て今度はお寺の本堂を背にして右に曲がり、お寺の敷地をぐるっと一回りすることになります。

 

f:id:rumimarusr:20210616040857j:image

 

山門を出てすぐ右の駐車場にある道しるべ石です。電柱の下に置かれていました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040900j:image

 

「右 九番道」と書かれていました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040720j:image

 

右側をぐるっと回るとトイレがありまして、その横の細道をお墓のほうに向かって歩いて行きます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040820j:image

 

山門から来た道を振り返るとこのように見える道です。実際に行ってみると、確かに道らしきものがあります。

 

f:id:rumimarusr:20210616040913j:image

 

畑の中の一本道のようなところを下っていきます。先のほうに石があるのが見えました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040847j:image

 

この石のところで曲がるのか、それともこのまま下に降りるのかわからないまま畑の中の一本道を通って下の道に行きました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040812j:image

 

「埼玉県の歴史の道報告書」には、畑を抜けた先にそばを流れる生川の川端の民家の庭先へ下りて行く道があるとのことですが、その道が見当たらないので、とにかく畑の一本道から畑下の道まで来ました。その後は舗装道路に沿って元来た道のほうへ戻りました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040717j:image

 

生川のほうまで降りる道が江戸巡礼古道だったのだが、その途中から昔の古道がなくなっているとのことなのです。

 

「歴史の道報告書」では途中までは、川のほうへ行ける道があった、とのことでしたが、それすらも道がわからないままでした。途中に神社のようなお社がありましたが、その周りも川まで降りる道はわからないままでした。

 

このまま舗装道路を歩きました。このお社の先にあるT字路のところ、札所八番西善寺の坂道から下りてくる分岐点にカワセミが上に乗っている道案内板がありました。この上の写真でもお社の先に見えるくらいの近さです。

 

f:id:rumimarusr:20210616040709j:image

 

ここには「札所への道 右 八ばん上る 左 六七九ばん」の道しるべ石がありました。「正面 武甲山 」とも書かれていました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040724j:image

 

本来なら八番から九番への道は、生川の方まで下りて、その後は川沿いを歩くので、行きにも通ったこの分岐点までは戻りません。しかし、川まで降りる道がわからないので行きにも通ったこの道しるべ石のところまで、いったん戻りました。

 

川沿いの道の途中には「右 九ばんみち」の道しるべ石があるそうです。

 

上の写真は先程と同じ場所、行きの時にも見た分岐点の道案内板や「札所への道 左 九ばん下る」、「みぎ 六ばん七ばん」の道しるべ石です。再度、別の角度から撮ったものです。

 

f:id:rumimarusr:20210908112439j:image

 

生川へ下る道はわからないままでしたが、「右 九ばんみち」の道しるべ石を探してみました。途中の橋を渡り、左に曲がってみました。

 

f:id:rumimarusr:20210908112548j:image

 

道の突き当りが民家になっていて、その庭先に道しるべ石らしき石があったのですが、民家の庭には入れないので、道のところから眺めるだけにして引き返しました。

 

生川への降りる道が結局、わからないままでした。

また道沿いに戻って、舗装道路に沿って川久保橋のほうへ下りて行きました。川久保橋までの道は護岸工事でほとんどなくなってしまったようです。

 

川久保橋の近くにも以前あったとされる石の建造物も見当たりませんでした。川久保橋で生川を渡ります。


f:id:rumimarusr:20210616040730j:image

 

生川を渡ったあとですが、途中、民家のほうへ入る道などもあるので間違えやすいかもしれませんが、道なりに歩いていきます。上に西武秩父線の線路が走っているのを前方に見ながら、歩いて行きます。西武秩父線の線路の近くまで来ると、正面にカワセミが上についた道案内板がありまして、そこを左に曲がります。道の左手に道しるべ石がありました。上の写真はその「みき 九番 ひたり八番」の道しるべ石です。「みぎ、ひだり」ではなく濁点がないとのこと。

 

f:id:rumimarusr:20210908112444j:image

今はこちらに道しるべ石もありますが、石垣のところを登っていく道が本来の古道だったようです。ということで、道を少し戻ってみました。道しるべ石まで行く途中に石垣がありました。こちらが本来の巡礼古道ではないかと思いました。

 

f:id:rumimarusr:20210908112520j:image

地元の人しか通らないような道です。石垣の途中の石段を登っていきました。

 

f:id:rumimarusr:20210908112454j:image

石段を登った時は、道があるのかわからなかったのですが、周りは石垣になっていて、古道の雰囲気は残っていました。登った先を右に行くと、道路に出ました。

 

 

f:id:rumimarusr:20210908112529j:image

 

トラックもよく通る大きめの道に出ました。道を渡った先に道しるべ石が見えました。


f:id:rumimarusr:20210616040744j:image

 

今は、石垣を上る道ではなく、先ほどの道しるべ石がある舗装された道を歩くようになっています。そちらの道からもこの大きめの道路に当たりますが、そこには道の左側にはカワセミが上についた道案内板、右側には道しるべ石です。「札所へのみち 右 八番下る」と書かれていました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040654j:image

 

正面の大きめの道路を左斜めに横断します。先ほどの古道と思われた石垣からの道では真正面に細い道があります。細い道ですが、その入口にもカワセミが上についた道案内板があるので、すぐわかります。その隣の電信柱の脇にも道しるべ石です。「巡礼道」の札も上にあるのですぐにわかります。

 


f:id:rumimarusr:20210616040705j:image

 

私が通った時は、なぜか石はヘルメットをかぶっていました。「ふだしょへのみち 右 九」となっていました。

 

f:id:rumimarusr:20210908112428j:image

 

再度別の時に通った時は、ヘルメットはなくなっていました。その代わり、草が生えてしまって「ふだしょの道」が見えるくらいです。ヘルメットがなくなっていたので、この道しるべ石がけっこう尖ってる石ということは、わかりました。

 

f:id:rumimarusr:20210908112546j:image

 

ここの細道の先は、畑道(徒歩道)になっていて、車は通ることができません。畑道を途中で左にカーブしてから、上にほうへ上がれる歩道があります。

 

f:id:rumimarusr:20210908112515j:image

 

私も以前、小鳥橋の横の延命地蔵のほうから歩いて来たことがあって、上の道から見ると、下に下りていって札所八番へ行けるのかなと思いながら、畑道を下って行ったことがあります。ここは人しか通れない道です。ここを登ってまた、大きめの道に出ます。

 


f:id:rumimarusr:20210616040809j:image

 

上にある比較的大きな道に上がると、道の斜め左側に「みぎ九番」と書かれた道しるべ石がありました。その上に、わかりやすく矢印型の「札所九番」の案内板があるので、それが目印になります。


f:id:rumimarusr:20210616040908j:image

 

西武秩父線の線路のほうへ戻るようにして歩いて行きます。道しるべ石のところからも見えますが、小鳥橋とその隣の延命地蔵尊です。

 

小鳥橋から札所九番までの道は、三菱マテリアルのセラミック工場敷地内になってしまっていて巡礼古道は不明なのだそうです。小鳥橋は渡らずに、西武秩父線の線路に沿って左にカーブして曲がり、その後はまっすぐ歩いて行きます。

 

舗装されたきれいな道なのですが、巡礼古道がわからない状態なので、かなりの距離を線路に沿ってまっすぐ歩き、西武秩父線の下をくぐって道なりに歩いていきます。

 

f:id:rumimarusr:20210908112451j:image

 

西武秩父線の下をくぐってからは、道なりに歩くと、三叉になったところに出ます。三叉と言っても、ひとつは三菱マテリアルの工場内行く工場内の道なので、通ることはできません。三叉の真ん中にあたる道、上の写真では左側の道を歩きます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040650j:image

 

この分岐点にも道しるべ石です。「みぎ 九番」と書かれています。施主と願主が別になって書かれていました。この隣には、道案内番もありますし、工場内へ続く道(途中通行止めになっている)ではなく、巡礼古道の道は現地ではすぐにわかるかと思います。

ここから先の道は、塀や壁に囲まれたような道です。崖下の道と言うのでしょうか。

 

f:id:rumimarusr:20210616040747j:image

 

両脇が壁のようになっているところを通り抜けた場所が春には花がきれいだったので写真を撮りました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040826j:image

 

その先は、T字路のような三叉の道に当たります。その正面には、2基の道しるべ石がありました。同じ場所に「みぎ 九番」と「みぎ 九番道」の2つが仲良く並んでいます。

 

ここを右に入っていきます。道なりに右にカーブした道を歩いていくと、札所九番の明智寺に到着します。

 

f:id:rumimarusr:20210616040931j:image

 

明智寺は境内は広くありません。敷地としては狭いほうといえるでしょう。しかし、境内には、子育て観世音菩薩や板碑があったり、文塚があったり、先祖供養の石や道しるべ石もあります。馬頭観世音と書かれた石碑や、供養碑のようなものもあります。

 

f:id:rumimarusr:20210616040659j:image

 

上の写真は、観音堂に向かって右にある板碑です。

 

f:id:rumimarusr:20210624222334j:image

 

板碑の隣にはお地蔵様が立っていて、その裏には、「みぎ 十番」の道しるべ石や巳待塔がありました。

  

f:id:rumimarusr:20210616040727j:image

 

文塚の石が置かれている祠には、如意輪観音やお地蔵様、観音様が描かれた石なども並んでいます。手前には絵馬もかけてありました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040751j:image

 

文塚のある建物に気を取られがちですが、文塚の石には「ひだり十番」と書かれています。向かって左側に見えます。文塚は道しるべ石を兼ねていたのでしょうか。

 

f:id:rumimarusr:20210616040833j:image

 

境内には、先祖供養と書かれた石碑もありました。

 

札所九番は境内にも道しるべ石が置かれていることに注意が必要です。

 

札所七番から八番へ

先に札所七番から六番へ行くという近道ルートを書きましたが、これからは本来の「順打ち」のルートでご紹介します。

 

f:id:rumimarusr:20210616040637j:image

 

再度、札所七番法長寺の山門です。晴れていれば、このように武甲山も見えますよ。

 

 

f:id:rumimarusr:20210616040941j:image

 

札所七番法長寺は、牛伏堂と言われるように、本堂に向かって左側に石造りの牛「牛伏堂由来の石像」があります。詳しいいわれは、書籍やガイドブックに書いてあるかと思いますので、省略して江戸巡礼古道の話を続けます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040916j:image

 

七番法長寺の境内、本堂に向かって左側に下に降りる階段があります。けっこう急な階段です。参拝を済ませたら、こちらを下りて行きます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040702j:image

 

階段のところから、七番法長寺の境内のほうを見たところです。この場所に階段があります。ここを下りて道路に着きます。

 

 

f:id:rumimarusr:20210616040850j:image

 

階段の全体像は、このような感じです。お墓参りの人くらいしか、こちらの階段を利用しないように思います。ですが、階段の周りには古くからあるような石碑も立っていました。階段を下りたら、前の道を向こう側に渡ります。

 

f:id:rumimarusr:20210618005756j:image

 

なお、法長寺から階段を下りて、右側に歩くと横瀬橋の交差点に向かう途中に、交通安全観音菩薩とお地蔵様もあります。江戸巡礼古道はこちらではなく、階段を下りたら、ここの場所とは反対の左へ行きます。もし、こちらに来てしまったら、戻ってください。

 

f:id:rumimarusr:20210618005827j:image

 

余談になりますが、上の写真は国道299号にある天狗坂と言われる場所から歩道の坂を登ったところから撮った札所七番法長寺です。

 

右に見える「天狗坂」と書いてある看板も現地でみるとかなり大きいものですが、その上に見えるのが法長寺です。法長寺は札所の中では最大の大きさとなる本堂を持ちます。

 

写真では法長寺がいかに大きいかわかりにくいかもしれませんが、実際に遠くから眺めると札所最大ということがわかります。

 

f:id:rumimarusr:20210616040923j:image

 

法長寺の急な階段を下りて目の前の道路を向こう側に渡って左に少し歩くと、下へと下りていく道があります。道なりに右へカーブしていく道を歩いていくと、駐車場と畑の間に供養塔のような石碑がありました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040801j:image

 

さらにまっすぐ歩くと、左に横瀬町の保育所があります。 その保育所の道を挟んで反対側に寺久保の地蔵様があります。お地蔵様は、台の上に乗っていますが、その下、向かって左側に道しるべ石がありました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040643j:image

 

「みぎ七ばん ひだり八ばん」と書いてある道しるべ石です。やけに「み」の文字が大きくみえます。さらに歩くと、国道299号に合流します。左のほうに向かって国道299号を歩いていきます。

 

左手に「横瀬生コン」の工場を見ながら、武光橋を渡ります。橋を渡ると、国道299号から二又に分かれる道が見えるので、左手の脇道に入っていきます。

 

f:id:rumimarusr:20210618005739j:image

 

道なりに歩いていくと、横瀬川の支流となる「生川」にかかる「柳生橋」が見えてくるので、そこを渡ります。

 

f:id:rumimarusr:20210616040920j:image

 

柳生橋を渡る前に左を見ると、稲荷神社の赤い鳥居が見えます。柳生橋を渡ると同じく左側に道が見えるのですが、これが近道ルート、「七番→六番→八番」の順で歩いてきた時の道なのです。この先で合流します。

 

f:id:rumimarusr:20210618005802j:image

 

さらに道なりに歩いて行きます。ここが近道ルートを紹介した時の合流地点と書いた場所です。六番→七番の順打ちで来た時は、上を走る根古屋橋の下をくぐって、左にカーブしていく道を歩いていくと、この合流地点に到着します。

 

f:id:rumimarusr:20210908112523j:image

 

カワセミが上に乗っている道案内から札所八番方面に身体を向けると道のお向かいに、道しるべ石があります。ここにも「左 六ばん 七ばん」と札所六番と七番はセットになっていて、「六番から七番」の人もいれば、「七番から六番」というルートを取る人がいたことがわかります。

 

ここから先は、近道ルートでも、順打ちルートでも、同じ道になるので同じルートを通って、札所八番に向かって歩いて行きます。 

 

f:id:rumimarusr:20210616040938j:image

 

そのまま生川に沿った道を歩いて行きます。ここから少し上り坂(ケンムシ坂)になっていて、左は林のようになっています。途中で、馬頭観世音の大きめの石碑とお地蔵様が収められている祠がありました。

 

f:id:rumimarusr:20210908112527j:image

 

林のような暗い道を通り抜けると上のほうに石垣状の壁が見えてきます。舗装された道ですが、坂の下では、秋だと秋海棠が道端に咲いているのが見える自然あふれる道です。

 

f:id:rumimarusr:20210616040840j:image

 

けっこう長い坂道を上ります。上のほうは、道端に石垣状の壁になっていました。地元ではこの坂を「ケンムシ坂」と呼ぶそうですが、どういう意味なのでしょう。 石積みされた壁の道を左にカーブするようにして道なりに歩いていきます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040823j:image

 

富田商店前の十字路が見えます。十字路のところには、手前に「みぎ 六番七番 左 八ばん」の道しるべ石があります(ここでも六番と七番はセット)。この十字路を右に曲がっていきます。道しるべ石の向こう側には、カワセミが上に乗った道案内板もあります。

 

f:id:rumimarusr:20210616040935j:image

 

曲がってすぐのところに左側に「武甲山御嶽神社入口」の神社標がありました。どうやらここは武甲山御嶽神社里宮の参道になっているようです。

十字路を右に曲がると、前方に西武秩父線が上を通る場所をくぐっていくのですが、その線路の手前にも神社の入口でみかける石柱が二本立っていました。

 

 

f:id:rumimarusr:20210616040754j:image

 

線路の下から150m程度歩いていくと、変則的な四つ角があり、右斜め後ろから道が来ていて、今まで来た道との分岐点に道しるべ石がありました。そこには、上にカワセミが乗っている道案内板もあります。「札所への道 左 九ばん下る」の道しるべ石です。

 

f:id:rumimarusr:20210908112441j:image

 

裏からみると「みぎ 六ばん七ばん」となっています。

 

f:id:rumimarusr:20210616040737j:image

 

さらに歩いていくと、御嶽神社里宮へ行く沢沿いの道が見えてきます。ここを左に曲がって御嶽神社里宮のほうへ歩いていきます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040634j:image

 

突き当りまで行く前に御嶽神社里宮の鳥居が見えます。

 

f:id:rumimarusr:20210616040646j:image

 

おそらく武甲山にまで登れない人のための神社なのでしょう。拝殿の横には、杵築神社もありました。 

 

f:id:rumimarusr:20210616040816j:image

 

余談ですがこの御嶽神社里宮の前の道をさらに突き当りまで行くと、そこには、秩父絹の発祥の地となる「城谷沢の井」があります。井戸は、この写真の奥にあるものがその井戸のようでした。

 

f:id:rumimarusr:20210616040837j:image

 

巡礼古道は井戸まで行かないで右に曲がります。突き当りにある「城谷沢の井」の手前には沢を渡る小さな橋があるので、そこを渡って行きます。ここを上って、突き当りを左に行きますと、急な坂道となります。

 

f:id:rumimarusr:20210616040844j:image

 

右にカーブした坂道を上がっていくと、札所八番山門に到着します。 山門に向かって左側にはお地蔵様もありました。

 

f:id:rumimarusr:20210616040854j:image

 

札所八番の西善寺というと、樹齢500年を超えるコミネカエデが有名です。紅葉の頃、晩秋にも行ったことがありますが、このように青紅葉(青カエデ?)も素晴らしいです。

 

札所六番と七番は、どちらを先に行くかによって道が異なる部分もあります。次回は八番から九番への道になります。

 

札所六番から七番へ(七番から六番へ行く近道ルートについても)

前にも書きましたが、六番から七番の道は、順打ちのコースだと同じ道を歩く部分ばかりなので、だんだん七番を先に行くことが多くなったようです。そのほうが効率的ですからね。七番→六番→八番というルートです。

 

今までも何度か書きましたが、ブログが完成したら手書きでルートの地図を作ろうと思っています。

 

江戸時代に秩父観音霊場ができた当初の札所番付を変更して、四萬部寺を札所1番にしたわけですが、六番と七番については、どうしてこの順番になったのか。当時は六番から七番への順打ちのほうが行きやすかったのか、道を間違えやすかったのかなど理由は不明です。

 

f:id:rumimarusr:20210601010025j:image

萩原商店の横にある「八番ふきぬけ」の大きな道しるべ石です。行きの時の道を戻るだけです。六番が先の順打ちルートの場合、ここまで同じ道を通って戻ってきます。

 

f:id:rumimarusr:20210601010017j:image

 

先ほどのように札所五番からまっすぐやってきたら、この道しるべ石のところで、左に曲がります。

 

札所七番を先に行くというルートを選べば、この道しるべ石のところで曲がらずにまっすぐ行っていたわけです。

 

六番から戻ってきたら、ここを左に曲がってまっすぐ50m程度歩きます。

そもそも、この道しるべ石からは七番のほうが近いのです。場所を知っている人なら、萩原商店のところからでも「青苔山法長禅寺」の寺標が見えることでしょう。

 

寺標が見えたら、そこからは参道なので、右に曲がった先に札所七番法長寺があります。

 

f:id:rumimarusr:20210618214732j:image

 

「不許可葷酒入山門」の岩のような先に山門があり、札所七番となります。

 

ということで六番から七番は、来る時と(次の札所へ)行くときがほとんど同じ道を使う、ということになります。

 

六番から七番への道は以上となります。ですが、それだけでは古道の説明があまりにも短いので、順打ちではなく、「七番→六番→八番」だった場合の道もご紹介しておきます。

 

【七番先、六番が次で、八番に向かうコースの場合】

 

札所七番で納経を済ませたら、萩原商店前にある道しるべ石まで戻り、前回書いたように札所六番へ行きます。札所六番で納経を済ませたら、札所六番を出て坂道を下っていきます。再度、来た時と同じ道を少しだけ戻ります。沢沿いの道で「右八ばん 左六ばん道」の道しるべ石のところまで来たら、ここで左に曲がります。六番から戻ってきたので、左に曲がることで八番方向に行きます。

 

f:id:rumimarusr:20210618005813j:image

 

先程と同じ写真なのですが、ここまで戻ったら用水路のような沢の橋を渡ります。沢にかかる橋を渡ってからは多少くねくねした道ですが、道なりにまっすぐ行きます。

 

 

f:id:rumimarusr:20210618214657j:image

 

道なりに行くと、三叉になっているところの手前に、比較的新しい道しるべ石「札所へのみち」の石がありました。

 

「左 八ばん」となっています。裏の面にも書いてあって「右 六ばん 左 七ばん」と書いてあります。

 

さらにまっすぐ行くと、途中でカワセミが上についている道案内がありますが、そのまままっすぐ行けば八番という方向に歩いていきます。

 

左手に広い駐車場のような場所やビニールハウスが見えまして、その先に「曹洞宗吉祥山大忠院」の寺標が見えてきます。


f:id:rumimarusr:20210618214704j:image

 

参道にはお地蔵様がありますし、大きな木もあるのですぐにわかります。

さらにまっすぐ歩きます。


f:id:rumimarusr:20210618214550j:image

 

さらにまっすぐ歩いて行くと、木の塀に囲まれた古めかしい大きな家が見えてきます。

そこに「マスつかみ取り」の看板があって、その下に道しるべ石がありました。

これも比較的新しい感じがする道しるべ石です。「右 七番 左 八番」と書かれていて、何回か見かけた「札所へのみち」ではなく、「補陀処路」と書かれています。「札所道」という意味なのでしょう。「ふだしょみち」と読むのでしょうか。

 


f:id:rumimarusr:20210618214532j:image

 

さらにまっすぐ先に行くとゆるく左にカーブする道の手前で、川のほうへと下りていく道があります。「巡礼道」の札がかかっているので道はすぐにわかりますが、通り過ぎてしまって道なりに歩いたとしてもこの下で合流するので、多少ショートカットできる道ということになります。

 

ここからは武甲山がよく見える場所です。


f:id:rumimarusr:20210618214554j:image

 

ヘアピンカーブとなる道を通ってきても、ショートカットできる道を下ってきても、同じく右手のほうに進みます。権現橋を渡って、横瀬川を越え、道なりにさらにまっすぐ歩きます。

 

権現橋を渡った先は、上に車通りの多い道、国道299号が走っています。ここからは橋のように見えます。国道からみたら「根古屋橋」となります。

 

 


f:id:rumimarusr:20210618214636j:image

 

橋のように見える国道299号の下をくぐっていくと、三叉道になっていて、ここで順打ち、すなわち「六番→七番→八番」から来た道と合流します。ここから先は六番が先でも、七番が先でも同じということになります。

 

ここからは、「札所8番」と、案内板が示す方向に歩いていきます。

 

ここから順打ちの「六番→七番→八番」と同じなので、「札所七番から八番へ」のブログ記事のほうに書きます。

 

ということで、ここまでが近道ルートのご紹介でした。六番から七番という道は、五番から六番への道の時に通った道ばかりなので、説明もすぐに終わり、となりますが、七番が先だった場合のルートも書いておいたので、参考にしてみてください。

 

 

札所五番から六番へ(七番を先に行く人もいた)

今回は札所五番から六番への巡礼道についてでですが、その前に前回の補足を書きます。

 

眺めのいい田園道は武甲山が前に見えて眺めのいい道なのですが、こちらは江戸巡礼古道ではありません。 

 

f:id:rumimarusr:20210616023020j:image

 

このまままっすぐ行って横瀬町の町民グランドのところに突き当たってから右に曲がると、江戸巡礼古道との合流地点に行きますが、その前に畑道にもいくつか曲がり角がありますので、そこから江戸巡礼古道に戻ることができる場所もあります。

 

このまま「眺めのいい道」を歩くなら、町民グランドの突き当りを右で巡礼古道に戻るのではなく、左に行きグランドの横を通って、寺坂棚田を見てから江戸巡礼古道に合流する、という方法もあります。

 

眺めのいい道とともに、寺坂棚田も一度は見ておくといいと思います。

 

さて、札所五番の語歌堂前の江戸巡礼古道の道に戻ります。

 

f:id:rumimarusr:20210618204146j:image

 

札所五番の前の道、四つ角にある馬頭観世音の石碑を見ながらスタートです。

 

このまま札所五番の語歌堂の前の道を直進していくのが江戸巡礼古道です。

 

f:id:rumimarusr:20210616023017j:image

 

まっすぐ歩いていくと、大黒天の石碑が右手に見えます。ここは二又の道になっていますが、直進します。

 

さらに歩いていると、三叉の道になりますが、道なりにまっすぐ歩いていきます。 

 

f:id:rumimarusr:20210616023010j:image

 

まっすぐ歩いていると右手に「札所のみち」の石碑がみえます。隣にも石碑があるのですが、何なのか。供養塔かと思ったのですが、近くに馬頭尊の石碑があったと言われてましたから、馬頭尊かもしれません。左手からの道が通っていて、その突き当たりの場所にありました。

 

さらに歩くと横瀬グランドがみえます。そこには看板があって車の行く先を指していますが、その横に「巡礼道」の札もあります。

 

余談ですが、先程書いた武甲山がよく見える「眺めのいい道」を歩いて来たならば、横瀬グランドのところで、この道に合流しますが、先程の眺めのいい道を通った人は、江戸巡礼古道を通らないとしたら、左に歩いて、写真スポットとして有名な寺坂の棚田を見ながら歩く人もいます。

 

さて江戸巡礼古道ですが、田端商店の二又道は左の道を歩き、横瀬町の町民グランドに沿っていきます。町民グランドが終わるところに少し変則的な四つ角があります。

 

 

f:id:rumimarusr:20210601010050j:image

 

その四つ角にあった「中みち」と書かれた道しるべ石です。明和四年の銘で、下には「六番」と「七番」と書かれています。

 

ここには、他にも石碑があります。横瀬町が置いているカワセミがてっぺんに乗っている道案内の木もあります。

 

f:id:rumimarusr:20210601010039j:image

 

その「中みち」と書かれた石のそばにある石です。高篠村という文字が見えます。

 

f:id:rumimarusr:20210601005922j:image

 

中みちの石から少し歩くと公民館のような場所があり、その敷地に地域で守っていると思われる神社らしきお社がありました。

 

 

f:id:rumimarusr:20210601005937j:image

 

さらに歩いていくと、横瀬川のあるT字路に突き当たります。そこには、横瀬町の道案内のほかに、心求・はまの道しるべ石があります。「ひだり 六ばん」の道しるべ石です。横瀬町の道案内には「徒歩道」と書かれていて車は通行不可です。

 

ここを左に曲がります。しばらくは車も通れるほどの広さがある道なのですが、結局は徒歩だけの道になります。じきにカワセミが上についた道案内番がありまして、そこを右に入っていきます。

 

f:id:rumimarusr:20210601010035j:image

 

ここからは徒歩の道、川沿いの道になります。地元では「よこっぴき」と呼ばれる道です。「よこっぴき」は川そばの細い町なのでこの写真にもあるように車の通行は不可です。

 

 

f:id:rumimarusr:20210601005949j:image

 

「よこっぴき」にあった「札所への道」です。

「みぎ五ばん語歌堂 ひだり七番法長寺 六ばん卜雲寺」と書いてある道しるべ石です。

 

f:id:rumimarusr:20210601010200j:image

 

よこっぴきからの眺めです。崖の上なので横瀬川を見下ろすことができて眺めは良いです。反対側は崖になります。 


f:id:rumimarusr:20210601005918j:image

 

これが「よこっぴき」の道の感じです。徒歩道というのがわかるかと思います。

 

f:id:rumimarusr:20210601010021j:image

 

「よこっぴき」が終わるところで、反対側の入口から写真を撮ってみました。

 

「よこっぴき」を歩いていくと、横瀬川まで降りていける道もありますが、川遊びで通ったのではないので、ここを直角に曲がり左のほうへ歩いていきます。 

 

f:id:rumimarusr:20210601005928j:image

 

「よこっぴき」から出てまっすぐ歩くと、またカワセミが上に乗った道案内(横瀬町の案内はカワセミが乗っています)です。今歩いてきた五番への道は、「よこっぴき」を歩くので(歩道)と書かれています。車は入れないということでしょう。

 

巡礼古道は、この「6・7番」のほうへまっすぐ歩きます。この写真でも見えますが、写真スポットとして知られる寺坂棚田へは、ここを左に曲がってこの先100メートルほどです。

先程の「眺めのいい道」から寺坂棚田を歩いて見てきた人はここまでくれば、ここで江戸巡礼古道に合流できます。

 

 

f:id:rumimarusr:20210601010044j:image

 

ここからは、下り坂になります。石が割れていますが、「みぎ六ばん」の道しるべ石です。

 

坂を下ると、苅米橋を渡ります。この橋を渡ると林になっていて薄暗いです。

 

f:id:rumimarusr:20210601005945j:image

 

橋を渡ってから少し坂を上るようになり、左手の角に比較的新しい道しるべ石が見えました。「札所へのみち 右 六 七ばん 左 村みち」と書いてあります。

 

ここから少しあるくと、平沼建設という会社が左に見えて、その裏手に札所六番の荻野堂の跡地とされる場所があるというので立ち寄ってみました。

 

f:id:rumimarusr:20210601005933j:image

 

見えるのは、お墓がいくつかあるだけでした。空き地のような場所がその跡地なのでしょうか。

 

巡礼古道に戻ります。ゆるく左にカーブする道になりますが、二又のところは左に進み道沿いに歩いていきます。資料によっては、ここで分かれて七番へ行った人もいたようですがすぐ後で書く萩原商店の前で七番と六番への道が分かれていたようです。

 

そこから歩くと変則的な四つ角があって、そこを右に曲がります。

 

その四つ角には、矢印がついた道案内があるので、それに従って歩きます。

 

f:id:rumimarusr:20210601010013j:image

 

その角にある2つの道しるべ石です。ひとつには「右七番」と書いてあります。

もう一つは「札所へのみち」となっているようです。草で覆われていますが、「右 六・七番」となっているのでしょう。

 

 しばらく歩くと萩原商店がみえます。商店の脇には、大きめの道しるべ石がありました。

 

f:id:rumimarusr:20210601005953j:image

 

萩原商店の横にある大きな道しるべ石です。ここで六番と七番のどちらを先に行くかが分かれる分岐点になります。

 

写真だと「八ばん」の文字がみえにくいですが、「ふきぬけ」の文字は見えました。

 

f:id:rumimarusr:20210618005707j:image

 

この道しるべ石には、「みぎ七ばん ひだり 六ばん」脇にほうに「八ばん ふきぬけ」と書かれています。

 

 萩原商店の脇道へと左に曲がり細い道を歩きます。

 

f:id:rumimarusr:20210618005720j:image

 

しばらく歩くと、T字路の突き当りにビニールハウスがあって、その前に墓石を兼ねた道しるべ石があります。

 

正面の右のほうに「六ばんミち」と書かれています。後は「祖国」とか文字が見えますが、墓石なのだそうです。

 

f:id:rumimarusr:20210618005752j:image

 

突き当りを右に曲がると、まだビニールハウスは続いていますが、そこに、「右 六ばん」の道しるべ石があります。三角っぽい形をした石でどっしりしています。

 

f:id:rumimarusr:20210618005822j:image

 

 先程の墓石を兼ねた道しるべ石とは、すぐ近いことがわかります。この写真に見えるビニールハウスのお向かいにある家は以前の巡礼宿だったそうです。

 

f:id:rumimarusr:20210618005759j:image

 

さらに直進するとまたT字路で突き当りになり、目の前に比較的新しいと思われる「札所へのみち」の道しるべ石がありました。これは「右七番 左六番」と書いてあります。

 

ここを左に曲がります。さらにまっすぐ歩いていきます。

 

f:id:rumimarusr:20210618005830j:image

 

四つ角のところに、「かどや」というお店があって、そこに横瀬駅だとか札所だとかの案内板があります。札所6番はまっすぐ先に、札所7番と9番そして横瀬駅は今歩いてきた道、右に行くと「札所8番」という道案内板です。

 

その下には、道しるべ石があります。「ひだり六番道」と書かれています。

 

この四つ角も直進していきます。さらにまっすぐ歩くと、二又道になり、そこを右側の道を歩いて行きます。二又のところには、看板もあり、こちらの道を歩く、ということはすぐにわかりようになっていました。

 

f:id:rumimarusr:20210618005813j:image

 

ここは沢沿いの道となっていて、小川が流れています。途中で橋があり「巡礼道」の案内がありました。その下にも道しるべ石がありました。これは「右八ばん 左六ばん 道」と書かれています。

この石からみて左となる道は沢沿いの道です。

 

「五番→六番→七番→八番」という順打ちのほかにも、「五番→七番→六番→八番」のコースもあって、七番が先のほうが近道ルートだったと言われています。

 

七番で先に納経を済ませた人たちは、六番で参拝を済ませたらここまで戻って、沢を渡って、次は八番へと向かっていたのです(近道ルート)。それで石にも「右八ばん」と書かれています。

 

f:id:rumimarusr:20210618005657j:image

 

沢沿い道はわかりにくいのか、手書きの案内板とさらにもう一つ案内板がありました。

沢沿いの道から見えにくいうえに、左に上っていくからでしょうか。

 

f:id:rumimarusr:20210618005806j:image

 

ここの入口から坂道を登っていくので「左上」と手書きの案内板にも書かれています。

石灯籠や「日本百観音霊場秩父補陀所第六番荻野堂」と書かれた石碑のほかに供養塔があります。

 

f:id:rumimarusr:20210618005819j:image

 

供養塔の裏側を見ないとわからないようになっていますが、心求・はまの道しるべ石なのです。久々の心求・はまの道しるべで、「みぎ七ばん」と書かれています。これが供養塔の裏側に書かれているのです。

 

f:id:rumimarusr:20210618005746j:image

 

札所六番への坂道はけっこう急斜面になっています。途中に「地蔵菩薩」と書かれた石碑もありました。

 

f:id:rumimarusr:20210618005837j:image

 

ねがい地蔵のところまで上れば、すぐに札所六番に到着です。

 

f:id:rumimarusr:20210618005710j:image

 

ちなみに徒歩の場合、ここから階段を登って観音堂に行きますが、向かって右に駐車場があって、そちらにもお地蔵様があります。

 

f:id:rumimarusr:20210618005816j:image

 

この入口向かって右にある駐車場のところからの武甲山の眺めがいいと評判です。

 

f:id:rumimarusr:20210618005730j:image

 

境内の六地蔵のところからも武甲山の眺めはいいですよ。余談はここまでにして、六番から七番への順打ちとなると、ここから今まで来た道を戻っていくことになります。

 

分岐点と書いた萩原商店(みぎ七ばん ひだり 六ばん、八ばんふきぬけの大きめの道しるべ石があったところ)まで戻ることになります。同じ道を歩かなければなりません。

 

七番を先にするルートではなく、あくまでも六番の次に七番に行く、ということで書いていきます。